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作家の部屋 「ダルタニウスの苦悩」

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スザンヌの「ぶろぐ… スザンヌ☆さん

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どぴゅ@ みんなホントにオナ鑑だけなの? 相互オナって約束だったけど、いざとなる…
2006年05月10日
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カテゴリ:思想
 この世の中から戦争をどう廃絶するか。あるいはどう廃棄する
か。この大問題の前提は、日本が世界に誇れる憲法第9条「戦
争の放棄」を一国だけで掲げても理想論に終わりかねず、人類
史が負った被爆という究極の兵器「原爆」を根元で廃棄する根
拠を手に入れるためでもあります。
戦争は何故起きてしまうのか。まず、ここを理解しないと廃絶論
など無意味になります。争いのレベルには個人対個人のトラブ
ルから生じて相手を殺傷してしまう場合から、複数の人間同士
の争い、さらには国対国といった大きな集団間の紛争と、大き
な集合体のレベルにまで広げられます。
 戦争は個人のものではなく、個人のためでもない共同体による
共同体相互の争いといえます。そこでは宗教団体同士や民族
同士、或いは国家と国家の争いにまで及び、共同体としての最
大の国家あるいは複数の国家と国家同士の争いを戦争と言い
ます。
 ここでは個人の為ではなくなり、共同体のためという大儀が最
優先され、その為には個が犠牲になり、或いは個に強制する争
いごとといえます。この全体のための強制、個を無化してでも、
相手を殺傷する行為に至ります。集団論理による集団殺戮が
正当化されるこの戦争の本質からして、廃絶するには私たち個
人が共同体の究極の国家を持たなくなる、あるいは民族意識
や宗教団体意識を放棄しない限りは終焉しない、国家廃絶にま
で至ります。
 国家という原因がなければ紛争は起きません。それは極端な
意見で、国家はなくならない。だから別の方法で核軍縮や戦争
放棄を考えるべきだという意見も多々あります。
戦争行為は共同性の最高携帯である、国家という概念を私
たちが先ず捨ててしまうことに行き着きます。国のための自己
犠牲を放棄すること、お国のための戦争など絶対にしないこと、
それが名誉でも何でもない虐殺行為の荷担であると捉えられる
こと。
 国家がなくなっても平気かは、この次に譲りますが、理論的にこ
れを私たちが先ず考えの中から排除できれば、つまり国家のた
めとか国家の一員とか、敵国をどうするとか、国境を保全すると
か、国家という枠組み自己解体、自己否定することが、すべつ
の解決の根本になると言えます。
はい





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Last updated  2006年05月10日 23時30分53秒
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