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作家の部屋 「ダルタニウスの苦悩」

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スザンヌの「ぶろぐ… スザンヌ☆さん

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どぴゅ@ みんなホントにオナ鑑だけなの? 相互オナって約束だったけど、いざとなる…
2006年05月12日
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カテゴリ:思想
引用した冒頭の「禁制の対象」が存在するには

(1)形態のない掟という約束事;これは習慣化している作法やマナーから、部族や近代国家の法に至るまでの全幻想を指し、具体的なものではない、抽象的な決まり事の場合が上げられている。

(2)次に特定の場所に立ち入ってはならないとか特定エリアを神の領域として不可侵にしたり、あるいは鳥居から先を神聖な場所と決めて、そこからは村落や世俗と違うところとして受けとめる場合である。

(3)人格とは、特定の人物あるいは世代で継承されている天皇家といった家族や権威を持つ地位が伴う個人がタブーの対象となる。

いずれも、その考えや場所や人間が、ある特別な<禁制>というタブーを獲得するには、個々人の心の中にそう認識する共通に了解意識が必要だと言うことになる。

 その個人が対象をタブーと認識するは、自分と当のその対象が区別され、自己意識とは異なるものとして自己対象化がなされなければならない。自分の心の中に固体とは異なる違和としての対象を措定し、その対象化された掟や場所や人格があるがままの実体ではなく、共通のタブーというベールで変形され、特別な意味合いを持ってしまうということになる。

 例えばある組織が、組織としての一つの決定をしたとする。その決定に個人が反対しては居ても共同の了解としてある決まり事の共通認識を獲得した場合、その決定に従わない単独行動を取ると決定違反として組織に不服従な行動や考えとなるために非難、批判やその組織から隔離もしくは排除されることもあるといえる。これはある共通意識が個人を逆に規定してタブーを、つまり<禁制>らを獲得していることになる。つまり、教頭認識で<禁制>が獲得されると、個人はその<禁制>に逆支配つまり、被支配を受けてしまうことになり、このことを次の文の裏付けにもなっている。

 「人間の幻想の世界は、それが共同性として存在する限りは、個々の人間の<心理的>世界と逆立していまうのである。つまり反心理的なものに転化するのだ」

 という内容にあたってくる。

 しかし論はさらに続き、対象が個人の心理的な世界の中で実体とは異なり過大にか、或いは過小に歪められてしまった状態になるが、自分がもしその対象そのものとして、<禁制>というタブー自身になっていると進めてイメ。これは、仮に自分が組織の長や代表や、あるいは内容を拡大して神主やあるいは天皇といった個人だとすると、自分自身が歪みを持ってしまうことになる。その幻想の歪みをも別の自己が否定もしくは是正しようとするには、「身体組織である生理的自然」が歪みを修整し是正しようとする、という。つまり、観念の世界を受けて個人が幻想を背負うことになってしまう場合、氏は身体という個の実体そのものが葛藤し、その幻想を排除もしくは修正しようとする根元となるといっている。これは、その後で論を深めている「母型論」や「心とは何か」の著書で発展的に展開している身体と心との関わりを既に含んでいたことになり、氏が論を広げる根拠の部分になっている。

 次に自分にとっての<他者>が<禁制。の最初の対象となる場合は<性>的な対象としての異性だという。場所や習慣や法といった禁制の対象を上げていたが、なぜここで氏が、<異性>という性の概念を導入したか。これは我々の領域は個、性、共同性の幻想領域を持つという彼自身が明確に区分し新たに掴み得た方法を持ってして解き得た最大の箇所に行き当たっていると言って良い。

 私たちが他人と関わる場合、一つには必ず自分の性つまり男、或いは女という生理的身体をもって関わる核を持つからだといえる。ここで禁制の構造を暴き立てている。相手と対する場合個の領域では、種族、成育環境、年齢の違いや性別の違いなどさまざまな要因がある。ただ、個人は必ず実体としての性の差異して現れ、性行為を伴うとか伴わないの関係なく<性的>であるといっている。子供を産む行為が人類を存続させていると言えば、その行為に関わる掟が存在してくる。それは、一つの<禁制>であるが区別されるべき領域としての<禁制>であり、個と個が関わる場合に生まれる唯一の関係の原点を探し当てている。

 というのは、氏は続けて<共同性>としての<禁制>を別に区分して次に上げ、これとの関われでのタブーに対する自己がこの<共同性>と関わるとしたら<個人幻想>か<対幻想>となってしまうと、論究している。これは、例えば先の例のように組織と子鹿の関係でタブーがあらわれることになるが、同時に仮に男女が異種族同士のペアだたっとすると、それぞれが属している共同体の掟に対して、とう゛う振る舞い、またどうはじき出され処罰や融和が生まれるかというペアと共同体との問題が現れることを意味している。 

奈美                          





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Last updated  2006年05月12日 23時49分13秒
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