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カテゴリ:思想
フロイトの近親相姦タブー化の根拠は、次の引用部分にある。
「性的欲求は、男達を結合させるどころか、逆に彼らを分裂させてしまう。いいかえれば、父親を圧倒するためには、兄弟達は互いに団結しあったが、女たちの場合には、互いに敵同士になった。みんなが父親と同様に、女たちを全部、自分のもにしようとした。そこで互いに争いあって、新しい組織は滅びてしまいそうであった。しかも、父親の役割を演じて成功を収めるような、あくまで強力な人はもはやいなくなっていた。したがって、兄弟たちは、共同生活をしようとすれば、近親性交禁止のおきてを作るしか、もう仕方がなかったのである。」(「トーテムとタブー」土井正徳訳) そして論は、これが母系権制度の基礎になったと結論づける。 このフロイトの近親相姦タブーから制度への転換の誤解を解き明かす。 <正常>な個体つまり所謂社会的個人としての大人と呼ばれる個人にとって、共同の禁制に対しては暗黙の了解が合意されている。この合意は世間の社会通念でのルール、すなわち<黙契>として習俗のレベルでの約束事になる。 一方<禁制>を柳田邦夫の民間伝承の民話を手がかりに未明の住民にとっての異境や異族に恐怖、崇拝が<恐怖の共同性>として控え、さらに村落共同体内の<禁制>さらに二重性として無言の圧力になっていたという。 日本の風土には<禁制>を生む条件として(1)個体が何らかの条件で入民状態にあること、(2)個体が閉じられた弱小な生活圏にあると無意識に考えていることを上げる。そして、現実と理念の区別が付かない「入眠と同じような状態」で簡単に共同幻想を作り出せるのだというところへ結論が導かれていく。この生みの親こそが「貧弱な共同社会」そのものにある。かくて私たちは初期のきょぅどうしゃかいに生まれる土着の共同幻想の生誕に立ち会わされている。フロイトの安易な論理の拡張から手にした共同の<禁制>を退ける論拠がここにある。そして、現代に私たちが照らしてみるとき、この根拠が大きく役に発つ手段を手にしていることに気づかされる。また、<禁制>の高度化した<国家>という法の禁制による共同幻想が解く鍵を持つことになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年05月14日 00時34分22秒
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