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カテゴリ:徒然日記
フジテレビ、ドキュメント番組「泣きながら生きて」11/3(金)午後九時放送を見て、家族の絆、運命、そして希望を受け止めました。
それは、ある中国人夫婦と一人娘の話でした。中国の文化大革命が、都市に住む若者達を「下放」と称する国策の一環として、各地方の農業に従事させると言うものです。彼らは「学ぶ」という機会を奪われ、田舎での強制労働を強いられ夢のチャンスという自由をも奪われました。 その「下放」で、ある男女が出会い、そして結婚。貧困生活の中で一人娘をもうけたものの、将来性のつかめない上海から、自身と家族の生活の将来のために父は大きな決断をし、当時の中国の15年分の借金をし、北海道の寒村にある日本語学校で勉強し日本で働くことを決意。ここから、この家族の離散と不幸な人生がスタートしました。 娘は8歳、母は縫製工場で働き、自分の贅沢を一切せず病院に行くことも惜しみ、子供のために犠牲となり僅かな貯蓄の努力を重ね続けた。父は確かな就職先がないままに不法就労を続け、それでも中国よりは通貨価値の良い日本で皿洗い、清掃業などの肉体労働を続け、家族に送金出来る限りの金を送り、切りつめる極貧生活を続けていく。 やがて自分にできなかったことを、愛娘に託すんです。娘は、やがて医者を目指すことになり、高校生3年生の時、米国のニューヨーク州立大学の医学部の進むことを決意。 母は今まで夫を信じ、また娘のために捧げてきた人生の努力がやっと、一歩を踏み出して前進できることに喜ぶと同時に、娘との別れの時でもありました。親子3人が別の国で生活することに。娘との空港での分かれ、母は別れることに泣きました。でも、無か目の過度での一歩にじっとこらえよう都市、娘も泣くまいと頑張ります。で、彼女は東京経由でのNY。1日だけの東京滞在で、10年ぶりの父との出会いがとうとう実現しました。涙を見せまいとして、でも二人は見つめ合って泣きました。アッというまゆみ師匠の一日は過ぎ、父は成田空港一つ手前の駅で下車。不法滞在が問われてはとの警戒心からでした。娘は電車の中で発射する際父を見ず、涙を見せません。父は、娘の背中を車窓越しに見つめて涙を流します。電車が走り出してから、娘は声を出して泣きます。社内の乗客達の視線を気にせず。 こうして、彼女は医学部へ。5年が経過し、母は米国の娘の処へ行こうとビザの申請を12回続けるも許可が降りなかった。しかし、13回目に許可がおり、娘の元へ。その途中東京で3日間時間を取り、夫と13年ぶりに再会を果たします。二人は日暮里駅のホームで劇的な再会を果たし、黙って書き続け、夫は荷物を持つと風呂もない狭いアパートへ妻と。結婚したときの記念の赤い枕カバーの枕を用意して。 妻は夫の作る夕食を待ちながら、部屋を見つめて黙っています。蒸す根の子供の頃の一枚の写真が壁に。枕にも視線は行き、ちょこんと座って夫の背中を眺めて泣きます。 夫婦二人の13年ぶりの、夕食。たった二人の夕食と、その狭い空間に、娘は居ないものの満ち足りたある信頼の夫婦の絆に包まれました。二人は浅草や都内見物に時間を費やしました。そして、また別れの時が。娘と別れたように成田空港の一つ手前の駅で夫は下車。また、これで逢えなくなる。ホームの発射のベル。電車が動き出す。夫は妻の背中を見つめるが、一瞬妻は夫を見て手をあげる。離れてから二人はそれぞれに泣き、それぞれの思いを独り言のようにカメラに向かって語る。 夫「辛いことには長く堪えてきた。でも、この嬉しさは言葉にしようがない」 妻「彼を疑う思いもあった。でも、13年の歳月は夫を老けさせましたが、信じる心はますます強くなりました。娘は、父の思いを心にしっかり受け止めなければいけません」 娘「両親の私への思いは痛いほど分かります。長い間私のために働き、生涯を捧げてくれている。両親のことを思うと、くじけたりすることは出来ません。頑張ります」 ・・・受け継がれた親の子への思い、着説的な人生をひとりの娘にこれだけ費やすことが出来るのか。これほど全てを捧げられるものなのか。これが、親の愛情だと強く、強くのしかかる。愛児を虐待する親たち、こんな素晴らしいものを見失っていく日本社会。富や利益追求、出世や学力競争 が優先し、親子、家族の絆がとんでもない方向に向いている日本人が少なくない。 今日は、大きな魂を僕の心に思い起こさせてくれた2時間でした。 今、娘がNYで、そん婦人科医として生まれてくる子供達の手助けや医療を施していた。父は中国に戻ることになり、日本の大地を離陸する。彼は手を合わせて深く日本、そして日本での経過と煮別れを告げて、妻のいる上海へもどる機内。一方、妻は笑顔で夫の帰るのを心待ちにし、料理を考えている。こうして、娘も上海に戻ってくれば、きっと3人の初めての出会いが実現し、涙ばかりの人生に終止符が打たれる。画面は、そこまでを描かず私たちに想像させることで幕を閉じた。 エンディングのスタッフ達の名前に「張」という姓が多かった。名前の前に故という冠詞がいくつか付いている。長い年月を掛けた記録の途中で、何人かのスタッフは亡くなっていったのかもしれない。 最近、毎朝立ち寄る、コンビニの女性店員に「張」さんという中国仁留学生のバイトがいる。何度か話を交わすようになったが、もしかとて、こんなご両親が北京で待っているのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年11月07日 22時38分28秒
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