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作家の部屋 「ダルタニウスの苦悩」

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スザンヌの「ぶろぐ… スザンヌ☆さん

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どぴゅ@ みんなホントにオナ鑑だけなの? 相互オナって約束だったけど、いざとなる…
2007年03月12日
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カテゴリ:社会
文明が発達するほど、人類は少子化が必然的となる。つまり文明の後進性は多産であるとともに、生命の価値や意味づけが低いため、命を奪うことや失うことが自然的である。、
 一方、文明の発達は生命の価値に意味を与え、個体の生命の価値に意義を与える、さまざまな観念の発達は生命そのものに有意性を持たせ、人間の命を奪うことや失うことを嫌う。
 この二つの尺度が文明の尺度となる。文明の先進性は少子化し生命を尊重する度合いが強く、文明の後進性とは産むことを抑制せず多産化し、生命の価値はより自然の一部という意識が強く、生命を失うことは自然的であることから、個体化している生命尊重の観念は弱いといえる。
 日本の流れ見ると、戦後急激に核家族化している。これは、どこへ向かっているのか。
 戦前は封建的な遺制の社会が「家族」を家という観念の世界にとらえ、家父長支配の長子相続制が人々に一般的に流布している制度という、誰もが了解している考え方、つまり観念だった。戦後、欧米文化が過剰に流入し、また欧米的な考え方を取り入れ、学ぼうという段階に入った。そこで今までの「家」の観念は壊れ、家訓や儒教的なモラルに取って代わる欧米的な個人主義思想が新しい考え方になってきた。家からの独立、これは一家に2世帯、あるいは3世帯が住んでいた家族が、夫婦と子供の核家族化へと向かう結果になった。これは、子供が大人になり再び独立して家を持つと、残るのは一組の夫婦か、一方が死亡し、残された個人の、いわゆる独り暮らしの老人群を生み出すことになる。介護や老人医療、福祉が大きな問題になってくる原因を、核家族化が自ら生み出すことになる。 核家族化は、一家の担い手を夫だけに強いる訳にはいかなくなる。女性の社会進出と、女性の地位向上が男女平等参画社会の考えを実質的に生み出し、まさに男性と女性が職場で、社会で対等になる。これで少子化の基礎ができあがってしまう。出産と育児が働く二人の男女に分担され、対等な男女はここの役割を生活の場でも、家を維持する収入やすべての面で分け持つことで維持される。このバランスを、妊娠出産育児が、すべて女性だけに課されてしまう矛盾と、労働面での社会進出の機会均等性は社会でも職場でも家庭でも対等に近づくことになる。この意識の変化が多産を抑制する原因の核心といえる。
 多くを生まないという考え方の流布、また収入と将来及び老後の不安感、生活維持のための不安感、子への出費など様々な不安要因が周囲を固めるように少子化を加速させてきた。これらの原因が取り除かれない限り、本質的な少子化対策は成り立たない。
 子育て支援、育児給付金など行政が打ち出す対策は、少子化の原因に手を届けられていないために、一家族2.1人の少子化歯止め人数に至らないのである。
  目を電話に移してみる。電話は家に一台が当たり前だったころ、異性に電話すると、たとえば、その電話を受けるのが親であったり兄弟であったりする。個人への電話は家族達に分かり、誰からのどんな話題かも聞き耳を立てて分かってしまう。これは、家制度が壊れるまで続いていたが、核家族化し、やがて携帯電話が誕生することで個人が家庭内でも他と区別して受信でき、あるいは送信できるようになる。電話が家族を中から壊していったとも一方ではいえる。縦割り社会の仕組みは壊れ、世代間格差は失われ、も楽がなくなってきた状態では年齢差の出会いは、決して不思議ではなく必然的なことへと向かうことになった。
 少子高齢化は大きな社会問題として先進諸国の将来に影を投げかけている。
というのも女性が子供を産まなくなったことに原因がある。ただ、それは女性を責めるわけには行かない。上記のような社会構造の変化に原因があるからだ。それを防ぐとしたら、その構造変化を是正していく方法が社会全体に施されなければならない。
 ある専門家が夫婦が2.1人を産めば少なくとも少子化にブレーキが掛けられるという。しかし、0.1人は社会全体で見た場合であって、具体的に夫婦1組を1ユニットとすれば、3人以上の子供を産めば計算上は少子化から右肩上がりの人口増へと向かうことになる。2人では1人が事件、事故や病気、或いは未婚などで次の世代を増やせなくなる場合があるので、3人以上なら少なくとも増加することになる。あくまでも計算上であって、すべてのカップルが産む自由を持っている以上、産まない自由も持っている。すでに、計算は机上の空論であることは誰もが、うすうすは気がついている。
 子供を産むには、夫婦がその数字を産み育てる意思と、社会的にも当然という暗黙の強制や意志の共有了解が、後押ししている必要がある。「少子化をのりこえたデンマーク」とは、湯沢雍彦氏の署名である。私たちは少子化の危機感や現象はとらえていても、それをどう克服するかで戸惑うことになる。ここで、私たちは、そろそろはっきりと言うべき時が来た。「文明は少子化する」必然性がある。もはや後戻りは、このままでは不可能だということを。少子化と高齢化が世界の主要国を、まもなく襲ってくる。高齢化の大問題とも少子化の大問題を、同時に抱えなければならないる
 問題はさらに他にもあった。それは個人が限りなく「個」へと向かっていると言うことだ。集団型の家族形態は、夫婦一組の家庭を生み、さらに進化し続けて「家」の観念が壊れ始め、夫婦が個人で同居する個と個の同居という男女の形に変化し、そしてさらに個だけの独居が、その延長線上に現れてきた。男女が出会い、結婚せずに二人で暮らし、あるいは独り暮らしの男女が性関係を持ち、再び独り暮らしの個室へ戻っていく。「家」の観念が失われ、行き着くところまで来ているのが現代の先進社会ではないか。





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Last updated  2007年03月12日 16時14分01秒
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