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カテゴリ:社会
近親バラバラ殺人事件
ある家族の兄弟姉妹が兄弟喧嘩を日々繰り返して成長していたとする。子供の喧嘩は口論の内容が本人達にとっては強大な違和だとしても、殺し合いにまでは至らず やがて妥協して親和し、やり過ごすように怒りの矛を収めることで日常の世界へと戻ることになる。 こうして遊びと喧嘩で泣いたり笑ったり、屈辱感や同情や親の介入で折れて人間関係の回復や修繕を学習していく。無論、兄弟がいればの話しで、居ない一人っ子は、その体験を親か同世代の外部の友人達との交流で学び、家の外での人間関係でのみ同世代やその前後の世代との関わりを学んでいく。内弁慶は、はけ口が家の中に向き、外には出せずにいる自己世界の孤独を知っている甘えの表現といえる。こうして外的世界との自己バランスを取ることで、正常な自分を保つことを演じる。 やがて、兄弟姉妹は成長し社会との関わりの世界に入る。特に進学や就職といった自身の社会的立場を決める大きな岐路に立たされる。そこで薄々感じては居た実社会の階級や階層や差異と自身の能力、志向との格闘の世界に突き落とされることになる。厳しい現実が待っているという訳だ。 今回、年下の夫をワインボトルで撲殺し、やがて2日が経ち死体をノコギリで解体してあちこちに遺棄するというショッキングな事件が起きた。 この犯人の女性の性格は幼少期から勝ち気だったという。勝ち気な性格は親によって、まずは養われる。だからといって、相手を殺すまでの激情タイプの分裂症的な大人になるとは限らない。医師宅の兄弟同士の殺害とバラバラ殺人も、自尊心を真っ向から否定されるような言い合いをし、或いは一方的に自己主張される特殊な相手への排除行為は、堰き止められていた理性の防波堤が、決壊したことを意味する。なぜ、易々と決壊し、近親の同居者を殺した上に、バラバラにして遺棄することができるか。 これは死体処理に困り、メディアで得たヒント情報を実行するひらめきと、犯罪を隠そうとする、狭い空間の都市型発想を裏付けている。 憎悪は怒りの心的領野が浅く、狭く、社会経験や人間関係が狭隘か自己世界が大きすぎてバランスを失っている。幼児期からの鬱屈し抑圧された世界が、隠されているはずだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年03月14日 18時01分54秒
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