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作家の部屋 「ダルタニウスの苦悩」

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スザンヌの「ぶろぐ… スザンヌ☆さん

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どぴゅ@ みんなホントにオナ鑑だけなの? 相互オナって約束だったけど、いざとなる…
2007年10月07日
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カテゴリ:社会
託児所に我が子をゼロ歳児から預けていく母親のことや、乳児にことは書いてきています。ここで、それを託す母親のことを少し考えてみます。この乳児ですら預けていく母親は、ある意味で子育ての放棄をしていると考えられます。我が子に母乳を与えず、スキンシップをせず、愛着や愛情の注入を放棄しています。というか、放棄できる資質を持っているのではないか。慈愛の心があれば育児に心を傾け、子育てに我が全身全霊を尽くそうとするのが母性ですが、もともと母性が希薄になっている。この託児行為の裏には、育児放棄の母性を欠いた女性が浮かんできます。家とか家庭の温かさや、家庭の喜びを持ち得てきていない。あれば、それを実践するのが本人には自然なことなので、疑うことなく母性としての母の行動を取るはずです。我が子の生命の一番大事な食事。これを作ったり、与えたりという努力をしようともしていない。育児放棄は離乳食や我が子の健康のための食事作りなども当然、平気で放棄しているはずではないだろうか。我が子に、最少の慈愛と、最小の育児行為ですましても平気な感覚になっているはずです。子供を育てるということを、まったく学び得ていない母親失格群が大量に社会に生み出されていることになる。
 ゼロ歳児保育の背後には、母親の母性喪失が社会に瀰漫していることを暗示していたのです。





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Last updated  2007年10月07日 21時41分42秒
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