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カテゴリ:社会
公教育が危機の中にある。モラル、常識、社会意識、規範意識をどうはぐくむか、学校現場は指導法に悩み、実効が上がらないのが現状だ。一方、保護者も学力低下の向上策に関心は高いが、生活習慣やわが子のしつけには総じて関心が薄い。というより、家庭に核となる価値観が希薄だから、学校でも子供達は同じように振る舞っているに過ぎない。
今年、小中高校などの教育内容の基準となる学習指導要領が改定される。今月中にもまとまる中央教育審議会の答申素案をみると、徳育について政府の教育再生会議が提言した教科化の是非を明言せず、先送りの姿勢だ。学力とともに公教育の基本となる社会意識や価値観を高める指導をどう充実させていくか、あいまいである。 モラルが薄れ、おかしいと感じる事例はあちこちで見られるという。 小学校では「あいさつをしない子供」どころか「きちんと上履きが履けない子供」が目立つようになったという。椅子に座らない、絶えずしゃべりながら勉強を受ける、達歩いて外出する。大学では、授業を聞かず、携帯電話画面から目を離さない学生が増えている。モラル崩壊は子供だけではない。保育園では、遅くまで子供を迎えにこない親が目につくようになった。入学式や学級参観で、おしゃべりに夢中な保護者もいる。給食費を払わずとも平然としている。親から子へ道徳心の薄れは広がる様相だ。 かつては、朝から晩まで近所の子供たちが外で遊ぶ姿が見られた。異年齢の仲間のなかで自然に学ぶことが多かった。だが、ゲームやネット世代の子供たちは、人と話すより、機械相手に遊び、友人らとのトラブルに対応する方法が分からない。そうして育った子供達が親となる。だから親自身も地域と交流したがらず、きちんとあいさつのできない大人が少なくない。 学校の道徳教育は、昭和33年に週1時間の「道徳の時間」ができ、50年がたつ。 以前は「親、師を敬う」「困っている人を助ける」「うそをつかない」などの徳目が、郷土の偉人の伝記や古典など親たちも知っている具体例を通じて教えられた。そして家に帰れば親や祖父母からさらに詳しく聞き、目上の人を敬い慕う気持ちが自然に生まれた。今はそうした機会は極めて少なくなっている。 文部科学省の調査では、道徳の授業時間をきちんと確保する学校が増えているとしている。しかし、形骸(けいがい)化の実態は変わらない。教師によっては、道徳教育をいまだに敵視し、別の授業をしている学校がある。いじめ事例や指導力不足教員の認知件数など実態と乖離(かいり)した調査と同様の構図である。 少年の凶悪事件の低年齢化などで「心の教育」が重視されながら、「価値観の押しつけ」などの批判をおそれ、モラルについて指導をためらう。教師自身がすてへにモラルを欠いているために、強くは出られない。社会が崩れている。腐敗は、政治、経済だけではなく、社会全体を覆っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年01月15日 23時10分55秒
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