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カテゴリ:社会
■変化した社会道徳心■
●感じられるおかしな現象 近年、こども達のモラルが薄れ、おかしいと感じる事例はあちこちで見られる。 小学校では「あいさつをしない子供」あるいは「きちんと上履きが履けない子供」が目立つようになったという。 教育現場では椅子に座らない生徒、絶えずしゃべりながら勉強を受ける生徒、酷いと授業中立ち歩いて外出までする。大学では、授業を聞かず、携帯電話画面から目を離さない学生が増えているという。 モラル崩壊は子供だけではない。保育園では、遅くまで子供を迎えにこない親が目につくようになった。入学式や学級参観で、こどもの授業を見るどころか、自分のおしゃべりに夢中な保護者もいる。給食費を払わずとも平然としている。親から子へ道徳心の薄れは広がる様相だ。 かつては、朝から晩まで近所の子供たちが外で遊ぶ姿が見られた。異年齢の仲間のなかで自然に学ぶことが多かった。だが、ゲームやネット世代の子供たちは、人と話すより、機械相手に遊び、友人らとのトラブルに対応する方法が分からない。そうして育った子供達が親となる。だから親自身も地域と交流したがらず、きちんとあいさつのできない大人が少なくない。 ●社会環境の変化 戦後の経済復興から日本の社会も大きく変化してきました。その変化の要因がこうした結果を引き起こしていると言える。例えば核家族化は一世代住宅という小型の家族を生み、上の世代との同居から学ぶ機会を失うことになった。女性の社会進出は子育てにかかる時間を少なくし、少子化の原因ともなっている。テレビの普及は家族との会話の時間をなくし、さらに進んでテレビゲーム、パソコン、携帯電話の普及は親子の対話、家族の絆を奪うことに拍車をかけている。こども達はメディア、ゲーム、インターネットから学習する機会を多く持つようになっている。 かくして儒教思想などは、戦後60を経過してきれいに消えてしまった。これらは先進諸国に共通の大きなテーマとなっている。 暴力やセックス、内容のないメディア放送などは彼らの学習の基礎となっている。こうした環境に育ったこども達が大人となり、家庭を持ち、新しいこども達の教師指導に関わり、日常的に接している。凶悪事件の低年齢化などで「心の教育」が失われ、学校教育では「いじめ」などの批判をおそれ、正面から指導することすらためらっている。●どう取り組むと良いか 日常のルールやマナーの基本を家庭の親、学校、地域社会がしっかり伝える。また地域ぐるみで子育てに取り組むとともに、伝え合い協力し合う地域力を付け、孤立せずに相互に心の手を握り合う連携の構築こそがが、唯一この進行を食い止めていける手段ではなかろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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