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カテゴリ:思想
「世界を理性的に見る者にとっては世界はまた理性的な観を呈する。両者は交互的限定に立っている」(ヘーゲル「世界史の哲学」岡田高平訳)
これは、色眼鏡を掛けて対象を見ると、対象はレンズ色に見える。本人は、それで対象を見たと思っているが、対象は見た者の色の染まってしまっている。ただ、見た人間には、それが分からない。そのレンズ色が対象であるという事実が、また見た者に認識と思考をあたえることとなる。しかし、実はそれは対象が限られた真実しか語りかけてはいないのだ。 好きだと思えば「あばたとえくぼ」と似ている。見ている者の意識によって、対象は限定されて表象を露わにする。それは、現実の実態のすべてを、あるがままに総体的に明かされているのではなく、限られた部分認識に過ぎなくなっている。それでも、本人は、それなりに理解できたつもりになってしまう。得てして、日常社会にも、このような例は蔓延しているといって良い。認識の根本にかかわることを、ヘーゲルは初めて文として捉えて見せた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年05月21日 16時04分23秒
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