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カテゴリ:政治
後期高齢者医療制度
知れば知るほど、よほど冷酷な人間が、事務的な発想でプランを作成しているのが分かる。これはあきらかに東大出のエリート官僚が、机上プランを作成し、自民党に下ろしたものを小泉元首相が議会に丸投げし自分の任期中に仕上げようと強行採決したものだ。 年齢で行われる差別医療は弱者の老人をターゲットに、福祉政策を根底の発想で転換した。それは、社会保障は行政は一切行わないという考えだ。まさに「聖域なき構造改革」であり、老人という弱者をもはや、弱者とはせずという発想だ。 年金天引きは、老人から相談の機会も奪い、さらに現金納入者も含め滞納者は保険証を没収、取り立てられなければ資格証明書を発行し、1年反語には保険給付は差し止めとなる。つまり、10割負担とする。これは、世界に類を見ない過酷な高齢者医療保険制度といえる。また、天引きのため、現在10%の負担が老人の人口増で2015年の保険料自動引き上げ10.8%でも、自動的に有無を言わさず年金からふんだくるシステムができあがった。どこを見ても、老人の痛みを分かるなどという福祉の発想など微塵もなく、社会福祉制度を自ら官僚が崩壊させている。収入が制限され、健康状態も低下する老人に対するケアの発想は根底には全く流れていない。 また、都道府県でも 市町村でもない「広域連合」は、一般財源を持っていないため独自の保険料減免措置を講じたりは一切できなくなる。従来は、自治体行政により、減免サービスが受けられていたがそのようないたわりの発想すら、ブロックされてしまった。 75歳でもお元気な方、すでに体を病み寝たきり老人や、通院通所医療介護を受ける方など様々である。そのここへの対応を線引き方式でカットし、無卯を言わさず一律扱い。 これは、とんでもない医療制度の導入と言わざるを得ない。 厚労省は、病気単位、患者単位で診療行為、医療材料を1ヶ月一律定額で限定するという内容を取り決め、こうなると、患者である老人は必要な医療が保険では保証されず、適正な診療などが受けられなくなる。遠ければ保険外のための高額医療となってしまうからだ。そうなると、病院も適正な治療はともすれば病院の持ち出しと成りかねないため、診療行為自体が制限される。 従来の医療費自動償還は、新制度では高額医療は、申請が本人もしくは代理者から行政に行われないと返還されない。 地域差や性差により格差が生じ、長生き広域連合は、保険料負担が大きくなり、高齢者が多い地域は、維持が困難になってしまう。保険負担のペナルティーが地域連合によっては生じかねない。また、厚労省は都道府県単位で高齢者数に応じた「かかりつけ医」制度導入し、このかかりつけ医に高齢者医療行為の抑制役を押しつけてる。これは、かかりつけ医以外への受診を制限し、国民皆保険制度の根本である医療機関選択制、セカンドオピニオンシステムの権利を抑制することになる。同時に、かかりつけ医定数制は除外医療機関も生じ、かかりつけ医への受診回数制限をも設ける事が懸念されている。主治医と専門医である「かかりつけ医」の両者で老人医療を見ていく体勢づくりが不可欠だと考えられる。 広域連合は各市町村の長及び議員から選出され、高齢者の意見は直性反映されるシステムではない。住民が広域連合に対して議会傍聴を行い、制度や運営の改善を有給する必要があり、住民による条令制定の直接請求も視野に入れないと、広域連合自体が、国の介入により単なる国の出先機関となり、国の良いなりに保険料を取り立て、あるいは給付抑制をする抑圧機関となりかねない。また、広域連合の共通経費を厚労省モデルで(1)高齢者人口割り、(2)人口割り、(3)均等割などを市町村に均等割してしまうと、1人あたりの負担額にも格差が生じる。 さらに、医療費抑制の観点から「終末期医療・看取り制度」の導入で、病院での看取りは抑制し、自宅で看取りをさせようとしている。行き場を失い高齢者、介護サービスの受けられない高齢者、家庭や地域から孤立する老人が大量に生まれ、家庭・地域で孤立する人権侵害の危険性を孕んでいる。個々のケースで在宅、病院の選択ができる対応が必要だ。 尊厳死のために終末期医療はどうあるべきかを、厚労省は、単に医療費抑制から決定していこうとしている。患者、国民の要望を聞き、きちんとした在り方を考えなければ、死のたらい回しや、死の責任転嫁が社会全体を覆いかねない。 医療費の適正化を図るには、数値目標を設定し、それを定期的に見直すことで、達成困難な都道府県には個別の診療報酬を導入するなどの新たな検討策も考える余地はあるだろう。完全なる赤字国家は社会保障に資金を投入しうるベースがない。高齢者医者医療も同様で、本来であれば予測しうる事前分かっていた。この事態を、なんら計画性もなく予算配分し、あるいは無計画に多額の歳出を行いすぎた結果が、資金不足、方法無策のために新たな収入のない老人の年金を食い物にする、世界にもまれに見る魂の抜けた極悪制度を作り上げた。多額の年金を消失させたままで、そらみたことかの老齢年金支給額の削減、さらに高齢者への社会保障費の負担増、差別医療の診療報酬への導入などが、平然と行われている。本来、老人福祉法は、高齢者は「多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ豊かな知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障される」はずだ。この責務を無視し、老人となれば苦しい未来が待っている社会を、突然描いて見せた。 私たちはあえて後期高齢者などと差別して「独立した医療制度」を創設する一用はないと考える。また、工費負担の拡大で拡大する制度財源を確保すべきである。特に70歳以上は、患者負担をさらに軽減し、窓口負担は、外来は一律1割負担、月額上限1000円程度とし、定額負担は1回500円、月2回までの、入院は1日700円までといった選択制を可能にすべきではないか。また、現役並み所得者の3割負担も廃止すべきだと考える。保険料は、応能負担の原則を徹底し、一定以上所得者の報酬上限は撤廃する。逆に、一定以下所得者の保険料は免除する。広域連合の医療給付費の実績で、地域別保険料の導入も検討すべきであろう。暦年齢や地域間格差のよる診療報酬格差は、絶対に設けるべきではない。高齢者が安心して療養できる施設の確保、在宅、居宅環境を整備し、「かかりつけ医」制度の導入はなすべきではない。地域の高齢者や住民の全人的医療を目指し、「主治医」機能をさらに強化すべきだと考える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年05月25日 14時02分39秒
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