カテゴリ:言葉の容器
日本教職員組合(日教組)の全国大会がおこなわれているようです。TVで報道されていたので知った。いじめや東北大震災で受けた子供の心のケアなどに正面から取り組む様子が映し出されていた。
自分の身近なことを語るべきなのでしょう。日教組について何も知らないが 同級生の一人が日教組の組合員です。相続したため自分の財産になった200坪の土地の隅に彼は家を立ててしまった。庭も作ってしまったので30坪くらいはかってに使っているかもしれない。30年前のことです。田舎のこととはいえ『xxx(同級生の名)君はかってだなぁ』って思っていた。借地である事を証明できるように今年から賃貸料として年間5万円いただくことになった。 安いと思いますか? それまでの30年間無料だったのですよ。 なぜかって? 田舎の近所付き合いってそんなものだったのです。 日教組はぼくにとって印象が悪いです。 いじめはなくならない。人間の本性に根ざしているから毎年生まれいずるというのがぼくの考えです。いじめを仕方ないとか肯定するとかということではありません。 いじめを始めた子に「いじめはいけないのよ」と教え育てる事が教育の本題なのではないでしょうか。いじめがあることを恐れてはいけないし認めないといけないと思う。 NHK「八重の桜」。徳川慶喜は鳥羽・伏見の戦いに敗れ江戸に逃げ帰り謹慎するという行動に出た。薩長軍の怒りの鉾はおさまらない。餌食になったのは会津藩でした。おとなのいじめの構図ですよね。「いじめをなくす」と簡単にいえることではないと思っています。 これも自分の身近なことを語るべきなのでしょう。 ぼくはいじめをしたことはない。クラスにはどうぞいじめてくださいという子供が必ずいるものです。ぼくのクラスにもいて、小学生時代は頭が良くて軟式野球のサードを守っていた近所の子がいつもこの子を守っていた。中学生になりいつもつるんでるわけにはゆかなくなりこのいじめられっ子は標的になった。ぼくは仲介に入った。たった一度だけど。体育の授業のサッカーでのろまのこの子を体育の先生がみんなの前で何度も蹴飛ばすことがあった。体育の先生は怨念露わに蹴っている。しかし怖くて止めてくださいと言えなかった。 小学校では軟式野球をやっていた。いつも2塁をまもっていたがたまにキャッチャーもやらされた。バッターが空振りしたとき捕球のタイミングで目をつむってしまう。ぼくはヘタクソな自分を認め 中学校では卓球部に入った。子供だって生きるとは競争であることをわかっている。競争を認めない教育などごまかしだと思っています。ひとりひとりがかけがえのない存在であること、敗者になってもくじけない子供を育てる教育をすべきと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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