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カテゴリ:social affairs の庭
京大などの入試でカンニングした男子が逮捕された。
そのやり方たるもの、股の間に携帯をはさんで左手で打ち右手で答案を埋めていたという、極めて単純なものだった。 こんなに大問題になろうとは・・・ もしかしたら本人が一番驚いたかもしれない。 「京大に入りたかったから」 ・・・・で許されるものではない。 しかし、一浪してて、センターで思うように点数が取れず・・・ 背水の陣だったその男子。 気持ちはわからんでもない。 どうしても京大に入りたかったんや・・・。 もちろん、気持ちが理解できなくはないというだけで、肯定したり弁護したりしてるわけでは断じてない。 彼、息子と同じ年齢だ。 息子の去年を思い出す。 センター一日目の後帰宅して、ご飯も食べれず蒼い顔して、息子は言った。 「今まで受験失敗して自殺するやつっておかしいんちゃうかって思ってたけど、分かる気がする・・・ 今日もし一人で返ってきてたら(友達と一緒だった)ホームから飛び降りるてたんちゃうかと思ったりした」 またこうも言ってた、「家族の顔みたらなんかほっとした。 もし下宿とかで帰って一人やったら、耐えられへんかった」とも。 その後、ゆっくり話を聞いてやってたら、気持ちも落ち着いたようで、ご飯も食べて、明日に備えるわと表情も明るくなった。 息子が思いのほか取れなかった科目は他の学生も取れなかったらしく、平均点がかなり下がったとのこと。 そして結局、「今年は難しい問題だった」というところに落ち着いて、心配には至らなかったのだが。 人にはそれぞれ自分の基準がある。 今回の男子、今回の入試に関してセンターの自己採した結果、自分の中のハードルを越えられないことがわかった。 「京大に行きたい」という彼の中のハードル。 息子も、「現役で国公立。 自宅から通えるところ」というセン引きがあった。 誰しも自分の中の‘これはゆずれない’がある。 だけどもし、万一、それが叶わないようだったら、ハードルは下げなければならない。 今回の男子なら、京大じゃなくて他の国公立。 息子なら、せめて近畿圏に広げる(笑) ←ちょっと意味分からん・・・。 そのハードルを下げるのは、本人にとってはそれこそ‘飛び降りたい’と思うほどつらいことかもしれない。 でも、その勇気が必要なのだと思う。 その男子、カンニングするほどの度胸(と言っていいのか・・・・)があるなら、志望校さげる勇気を持ってほしかったと思う。 他人からしたら、京大からそれが例えば阪大や一橋にしたっていいやん!と簡単に思うかもしれないが、決してそうじゃなかったんだろうと思う。 彼個人の基準だから。 それこそ他の大学に行ってたら、「こんなはずじゃあなかった」と屈折したり僻んだり、間違った方向に行ってたかもしれない。 京大しか見えてなかったんだろうから。 だけど、もしかしたら別の大学で素敵な人生が待ってたかもしれない。 でも、きっとそんなこと考えられなかったろうな。 息子が志望中学に入れなかったとき、ほんとにつらかった(私が・・・笑) 仲良しのママ友に言われた、「もしかしたらN中学(志望校)に行ってたら、交通事故とかいじめとかなんかあったんかもしれんよ。 きっと神様がS中学(息子の中学)に行こうよって導かはったんと思うよ」 また別の友達は、「S中だって、入りたくても入れない子がすごいたくさんいるんやよ。 えらいと思うよ」とも言ってくれた。 ものすごくつらかったのが、なんだか救われた気がした。 どうしても行きたかったからカンニングしていいわけないし、人間として間違ってる。 だけどそれこそ間違ってるとは思いつつ、なんか「かわいそうに・・・」と思ったりもしてしまうのである。 それって、むしゃくしゃするから人を刺した!と同じ理論やろ、と言われたら反論のしようがないのだが、同じ年の息子を持つ親として、どれほどまでに受験生として追い詰められてたんだろうかとちょっと気の毒に思ってしまうのである。 そこまで「なんとしても感」があったのかと思うと。 ‘生きる力’と一時期ものすごく注目されたが、まさに生きる力が欠けてたんじゃないかなって思う。 想像力にも乏しいし。 今しか見えてなかったんだろうな。 ことの重大さを認識することの欠落。 カンニングするなんてありえないよ! 不正して入学してそれで自分は満足なん?って、根本が間違ってることにさえ気づかない幼稚さ。 失敗を認めることの勇気。 彼一人の中に現代社会の縮図を見たような気がする。 テレビで(入試ではないが)カンニングについてインタビューしたら、「珍しくない」「結構やってる子いる」「自分もやったことあるし」と答えた学生がいたとか・・・。 モラルの欠如と言うのは簡単だけど、なんか根底から崩れ落ちてる気がする。 道にゴミをすててはいけません。 割り込み乗車はいけません。 ・・・ みたいな。 受験なんて世間では珍しくもなんともなく、本人とそれに関わる人たち以外には、知らない間に通り過ぎてゆく他人の行事。 だけど、本人たちにとってはものすごく大きなゲートなのだ。 くぐるくぐらないは人それぞれだし、絶対にそこをくぐらないといけないわけではないし。 ただ、くぐると決めた者にとって‘その門’をくぐるためには胃が痛くなるほどしんどかったりする。 オーバーかもしれないが、その時点では世界一重大なことなのだ。 自分の世界の全てが「受験」中心に成り立っているといっても過言ではないのだから。 それだけ真剣勝負で挑む!のが受験なんだと思う。 はたから見たら、後から振り返ったら、ちょっと笑っちゃうかもしれないのだけど、渦中にいるとそんなことは分からない。 ・・と思う。 これ経験談(^^; たかが通過点、されど通過点。 「京大に行きたかったから・・・」という供述がとてもずしんときた。 愉快犯とか、ひやかしでなかっただけ、まだ救われたのか・・・・・。 去年受験させた親として、ほんとに「そんなにしんどかったん?」って思う気持ちもなくはないけど、あえて苦言を呈したいと思う。 人生失敗することだってあるし、思うようにいかないことのほうが多いかもしれないんだから。 入試において、他人に負けたんじゃない、自分自身に負けたってこと認識してほしい。 ほんとに苦しくて、しんどいんだよ、みんな同じ。 それこそ出産だったらどうする? 苦しくったってズルできないんだよ。 しんどいの、苦しいの、自分で自分と戦うんだよ。 過去2回の出産の時、私、すごく苦しくって・・ でも思った、「みんな耐えてきたんだもん!」って。 「私だけが耐えらえないなんてない!」って。 そやって人は、色んな場面で自分と孤独な戦いをしないといけないんだよね。 軌道修正ってこと、ちゃんと学んで欲しいなと思う。 自分の気持ちや心のコントロールの仕方をしっかり学んで欲しいと思う。 人生まだまだ長いんだし。 でないとこれから先・・・さぁ。 受験失敗って失恋みたいなものかもしれんやん・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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