カテゴリ:政治・平和
今週末にこの映画会があります。私も転載させてもらいます。
遺族たちも就職出来なかったり差別されたり大変な思いされました。えん罪なのに。こういう文化を応援することも大事ですね。 転載記事です。二日続けて小森陽一氏の講演を聴けた喜びを感じています。昨日は「大逆事件」ドキュメンタリー映画上映の前に20分の小森氏の講演でした。20分の中で大逆事件の国家権力の横暴そしてそれらに繋がっていった人々の史観、管野スガがチリ紙に針で穴をあけ、「死刑が決まりましたと記して最後に幸徳は無実です」と平出 修に送った手紙等小森氏は短時間で興味たっぷりのお話をしてくださいました。急いで空港に向かって行かれました。 「大逆事件」はまさに国家権力の弾圧であり、天皇制を批判する人間を捕え1週間で判決を出すという出鱈目な事件でした。天皇暗殺を計画したとして社会主義者など26名が大逆罪で逮捕死刑24名(翌日、聖恩で12名が無期懲役)有期刑2名の判決が出ますが、しかし、その後の研究で社会主義者、無政府主義者への弾圧であったことが明らかになってきます。大逆事件とは…国家と司法、国家と人権(権利)、国家と私たち、100年たった現在もなお、それは、私たちの胸の中に谺(こだま)のように問として残り続けています。時代を超えて、大逆事件の世相が現在の世相と重なります。一つ違うのは「日本国憲法」が誕生している事です。 石川啄木がこの大逆事件の死刑判決を聞いて「興奮して眠れぬ、日本が駄目だ、母に話したら母の目から涙が出た、ちくしょう駄目だ」と日記に綴っています。幸徳取水は中江兆民に弟子入りしますが飽き足らずに自ら政治的発言を発していき、田中正道の天皇直訴の文章をつくりあげる等平民新聞で天皇制政治を批判していきます。明治の中の新しい芽生えです。大きな動きになる事を恐れた国家が天皇の名のもとに弾圧に乗り出すのです。 100年たった今も幸徳秋水をはじめ死刑になって逝った方々の人権復活運動は営々と続いています。高知県中村市の復権運動に携わってきたご老人が「国民に謝れる国家を皆で作っていく、これだ大事だね」ラストシーンの言葉です。 啄木の歌 地図の上朝鮮国(てうせんこく)にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴(き)く 秋の風我等明治の青年の危機をかなしむ顔撫(な)でゝ吹く 時代閉塞の現状を奈何(いか)にせむ秋に入りてことに斯(か)く思ふかな お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.02.07 09:05:22
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