カテゴリ:政治・平和
キネ旬 2013,7月上旬号 観察と感想2013「選挙2」と映画「立候補」を見る加藤典様 戦後70年代から80年代にかけて連合赤軍」バーダー・マインホフ・グループ」「赤い旅断」と日独伊三国に最左翼のテロを辞さない過激派政治集団が生まれたのはこれらの国が第二次世界大戦の敗戦国だったからである。 昭和天皇が戦争責任を引き受けず「何もしないために」…そのため政治への不信が生まれ、政治システムが十分に昨日しない状態が長く続き、そのため政治に対するニヒリズムが社会にいきわたった。そのフラストレーションが、若者たちを急進化したテロ左翼集団の創出へと追いやった 映画を見ればわかること 川本三郎 小倉で金鍋という火野脚兵が葦平画愛した老舗の料亭で大島渚が「少年」を撮影していた。 大島渚 映画com 京都出身。京都大学法学部を卒業後、54年に松竹入社。大船撮影所で助監督としてキャリアを積み、「愛と希望の街」(59)で監督デビューを果たす。「青春残酷物語」「太陽の墓場」(ともに60)がヒットし、篠田正浩、吉田喜重らとともに「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれる。「日本の夜と霧」(61)が松竹によって公開4日目で上映中止されたことをきっかけに松竹を退社。独立プロ「創造社」を設立し、「飼育」(61)、「白昼の通り魔」(66)、「絞死刑」(67)、「少年」「新宿泥棒日記」(69)といった社会派の作品を発表する。75年に創造社を解散し、阿部定事件をモチーフにした「愛のコリーダ」(76)で国際的に高い評価を得る。続く「愛の亡霊」(78)でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞、「戦場のメリークリスマス」(83)や、脳梗塞による後遺症を克服して完成させた「御法度」(99)も同映画祭に出品された。監督業にとどまらず、TVのワイドショーやバラエティー番組でコメンテーターとしても活躍。00年、紫綬褒章を受賞、01年、仏芸術文化勲章を受章。13年1月15日、肺炎のため80歳で永眠した。妻は女優の小山明子。 私は死刑には反対です。日本は世界から非難されているにも関わらず代用監獄制度を取り、そのため強要やおどし、すかしで自白、やってもない犯罪を犯したとウソの白状をしてしまい死刑判決など有罪になった人が少なくないのです。 最近では周防監督の「終の信託」「それでもボクはやっていない」 ドキュメンタリー映画「100年の谺 大逆事件は生きている」 約束「名張毒ぶどう酒事件」 などを見てもらえばわかります。 しかも今アベ内閣は強引に戦前野「治安維持法」と同じ悪法「秘密保護法」で 最高懲役10年ととんでもない重罪にして国民を苦しめようとしています。 追記 被害家族の前で死刑執行させるアメリカ映画「デッドマンウォーキング」も見ましたが 日本の絞首刑はとても残酷です、死ぬまで時間かかります。 国家が殺人をするのです。世界からこれも非難されています、終身刑とのあまりの差に、どうしてこれが改正されないのか、不思議で残念です。 終身刑と言っても模範囚ともなれは10数年で出られるのではないでしょうか。 死刑囚はいつ執行されるのか、その朝までわからないので毎朝恐怖です。 国民も死刑執行は後になって知ることになり、その様子も秘密です。 その映画も見ました。今八重の桜でお兄さん役の西島秀俊 第30回 ヨコハマ映画祭 助演男優賞(2009年『休暇』) 原作も短く読みやすい。 死刑執行官も辛いのです。 戦前の「治安維持法」ものちに最高刑死刑に改悪されたのです。 多くの平和主義者、自由主義者も犠牲にあい、敗戦後もすぐ釈放されませんでした! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.11.11 11:56:36
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