カテゴリ:演劇・ミュージカル
ドラマ半沢も出ていた中車(香川照之)が歌舞伎に出ていないと勝手に心配になる私、3月の御園座の襲名公演も観ましたが今は京都の顔見世にご出演。以下は歌舞伎美人(かぶきびと)より
歌舞伎ファンのブログで絶賛されていた息子さんの團子の 踊り 以下は歌舞伎美人(かぶきびと)より 團子さんはいかがでしょう。10月の国立劇場公演では『春興鏡獅子』の胡蝶を松本金太郎さんとお二人でなさいました。 「彼の踊りを見て、うまくできたときよりも、失敗したときに強さを感じます。胡蝶で、彼が上手(かみて)で、金太郎君が下手(しもて)で体をそらせる振りがありました。僕も感じていたのですが、彼は金太郎君より体がそっていなかった。そこをどなたかにご指摘されたようで、次の日に挑戦して限界がわからずに、支えきれなくて後ろに転んだ」 「でも、その後、まったくケロリとして最後まで踊り切ったことに、僕は感心しました。お弟子さんたちも、子どもはそういうところでがっくりして、後の踊りがめちゃめちゃになりがちだと言っていましたが、彼は平気でしたね。強い子だなと思いました」 そんなとき、中車さんは父親としてはどんな言葉をかけられたのですか。 「その日に、“武士は身体に一つだけ傷があるのが、優秀なんだ”という話をしました。何かの本で読んだのですが、まったく無傷の武士は負けを知らないから怖い物なしで、いつか斬られる。でも優れた武士は、傷がついても、それを学習して次から危険を避ける動きができる。“お前の今日は傷が一つついた瞬間だ。後は傷をつけないで最高の武士になりなさい”と言いました。その後、彼はぶれずにやっていました」 「その日に、“武士は身体に一つだけ傷があるのが、優秀なんだ”という話をしました。何かの本で読んだのですが、まったく無傷の武士は負けを知らないから怖い物なしで、いつか斬られる。でも優れた武士は、傷がついても、それを学習して次から危険を避ける動きができる。“お前の今日は傷が一つついた瞬間だ。後は傷をつけないで最高の武士になりなさい”と言いました。その後、彼はぶれずにやっていました」 とても舞台がお好きでいらっしゃるようですね。 「今でも踊りたくてしようがないようです。公演中も、よく食べて朝から晩まで走り回って踊って、帰ってからも走り回っていました。どれだけ体力あるんだというぐらい。舞台に出られてよかったと思います。11月からお稽古事を増やし、これまでの踊りと仕舞に加えて鼓、三味線も始めました」 「僕も三味線は一緒に稽古をしているのですが、彼は子どもですから、1回行っただけでスポンジが水を吸い上げるように覚える。置いていかれそうです。それを見ただけで、團子を歌舞伎の世界に入れたのは正解だったと思いたいです。僕が歌舞伎をやることは、間違っているかもしれないし、多くの人からも間違っていると言われます。でも、彼を入れたことは間違いではなかったのではないかということが、僕には誇りです」 襲名公演で、演じられたお役についての思い出などをお聞かせください。 「『将軍江戸を去る』(平成24年7月新橋演舞場)は、市川團十郎さんに、お稽古を見ていただいたことへの感謝の気持ちしかないです。山岡鉄太郎という男が一人で、徳川慶喜の御座所に、首を刎ねられてもおかしくないことを言いに行く。毎回、命を賭けていないといけない。成田屋さん(團十郎)相手に、その役をやらせていただいたことは僕の宝です」 『楼門五三桐』は3回、ご出演されています。 「五右衛門(平成25年1月大阪松竹座、同6月博多座)は、申し訳ないですけれど、お金をいただきながら勉強させていただきました。まったくできないということがわかるまでに時間がかかり、できないことがわかってから、どうしたらいいかがわかるまでにまた時間がかかった。抜け道がないまま、ずっとやって本当に苦しい演目でした。こんな立場で山門の上に座らせていただき、汗顔の至りでした。太刀打ちできない歌舞伎の難しさを痛感しました」 「『五三桐』を久吉を含めて、今年3回やらせていただいたことの成果が『御浜御殿』で出ればと考えております。同じ眞山青果物でも『江戸を去る』とは違ったせりふ回しをしなければならない。歌舞伎特有の決まった音をどれだけパワフルに出せるかです」 続きはこちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.12.06 19:11:54
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