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オモロイ日記

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ricca.

ricca.

2009年11月21日
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カテゴリ:カテゴリ未分類

ここでいろいろわかったことは、

日本人は得意か不得意かは別として、

小学校から針を持つことが授業に組み込まれていて、

中学、高校と普通科に進学しても洋裁の一つか二つかは、

こなして成人する。

まぁ、だから男子でもボタン付け、簡単な繕いもんぐらいは出来る。

中国はこういうことは学校ではやらない。

理由は注文服が日本と違って段違いに安価で出来るからという。

でインドはカーストが上でお金持ちに生まれたら、

勉強だけしてればOKの人生なんだそうだ。

家事一切はメイドまかせで、

注文服は格安、繕いもんも格安で外注出来るという。

だから日本に来たインド人はメイド連れか、

もしくは生まれて初めての掃除、洗濯、料理、買い物を経験している。

 

話は戻って、

私達はインド人母を巡って幼稚園と話し合いを持った。

「裁縫歴0の人に無理なんじゃないか。」と、

「インド人母の分は外注に出しても良いか」と。

これに対して幼稚園側の回答は、

「外注は禁止。

どうしようもない場合は裁縫の得意な母を紹介するので、

その人にやってもらう。」というものだった。

それでインド人母にも意見を聞いてみた。

「私に衣装を完成できるかどうかなんてわからないわ。

私は衣装作りを楽しみたいの。

やってみたいわ。

今日のようにぴったりくっついて、

あれやってこれやってってやられたら、

緊張しちゃっていろいろと心配しちゃったわ。」などと言う。

楽しみたいって何?。

あなたのやり方でやっていたら期限が守れないわ。

今日は2時間しか時間がなかったのよ。

と言いたいのを我慢して、

「あなたを教えている間、

教えている人は何にも出来ないのよ。」と事実を伝えた。

これで少し相手あっての自分ということが理解してもらえたようだった。

この話し合いでもう少しインド人母の様子をみることで、

話し合いは終わった。

 

そして次の説明会の日、

インド人母は随分と頑張りを見せてきてくれた。

肩と脇を縫って、見返しの肩も縫ってきてくれた。

あの使いづらいミシンで頑張ってくれた。

私達は嬉しかった。

これでうまくいくかもしれないと思った。

そして数日後幼稚園から次のようなオファーをインド人母は受けた。

「年少の遠足の翌日のお疲れ休みの日、

副園長先生が衣装作りを見てくださいます。」と。

裁縫歴0のインド人を入園させて、

しかも日本語が出来ない人を交えての私達の苦労を幼稚園は分かってくれた、

と私達は喜んだ。

当初このオファーにインド人母は拒否を示したが、

私達が自分達のこともやらずに手取り足取りやっていることを理解して、

行くことを了解してくれた。

 

これでなにもかもうまくいくと思っていた。

と思っていたらなんと、「私は先生達と衣装作りをやっていく」、

とインド人母は言い出した。

先生って誰?。

本来衣装作りは母達に任された仕事で、

先生達は舞台装置作成やらなにやらで、

毎晩残業続きで忙しいのが事実で、

先生達は衣装チェックはするけど衣装作りにはノータッチというのが、

今までの不文律のお約束。

日本人母達はこの空気を読めたが、

外国人のインド人母には読めなかったらしい。

インド人母は放課後に先生数名と(先生達は全然洋裁はわからない。)洋裁上手な母を

お抱えにして、上機嫌で衣装作りを進めていた。

私達としてはグループの一員が、

先生にまで衣装作りの負荷を波及させたことに対するすまない気持ちと、

このインド人母がどこまでも自分の都合の良い環境で、

都合の良いやり方をつらぬこうとする姿勢に不快感を覚えた。

そして、もうひとつ大きなことに気が着いた。

「この人、日本語わかる」って。

ここに私は大きな裏切りを感じた。

 

インド人母は今の今まで「日本語わっからない。」で、

自分の子供のことまで私に「あなたが先生に伝えて」という態度できた。

この態度をおかしいと私は感じながらも、

外国で暮らすことの大変さ、

外国で子育てすることの大変さを、

自分の留学経験から慮ってインド人母を助けてきたつもりだった。

しかし、少しづつだけど私を便利扱いするような態度が見え始め、

実はひらがな、カタカナの読み書き出来ることがバレ、

先生達と衣装作りが日本語で出来ていることを目撃され、

「この人は日本語わからない、

と言えば日本人が丸ごと助けてくれる、

っていうことをどこかで学んでそれを利用している」っていうことが、

ここに至ってバレ始めた。

なんというしたたかさ、

なんという人に対する感謝のなさ、

私は自分の御人好し加減も相まって、一人落ち込んでしまった。

 

しかし落ち込んでばかりもいられないのが母の日常。

他の人の衣装作りの進捗を計りながら、

自らの作業も並行し、

皆をリードしていかなければならない。

スカートの丈、リボンの付け位置、レースの付け位置など、

決めなければならないことは山ほどあった。

こういう決め事は説明会で決定し先生に報告する。

だからグループの人には説明会に出てもらわないと困るのだ。

「自分は先生達と衣装作りをする」と独り決めしたインド人母は、

当初にメモに書いて渡した日程どおりに説明会に来なくなった。

理由は「誰も私に言わなかったから。」。

この理由にさすがの私も怒った。

私はあなたの秘書じゃないんだから、

いちいちあなたのスケジュール管理なんてしない。

そして怒りついでに「誰もあなたの衣装作りを肩代わりしないわよ。」と、

電話で言ってしまった。

 

ここまで来るとグループ進行役の母達までも、

呆れてしまって「riccaさんは言葉が分かるから余計にストレス溜まるのよ。

もう、彼女とは日本語で行こうよ。」と慰めてもらった。

その帰り道になんとまぁ、

幼稚園の正門からインド人母、

彼女の衣装作りを助ける為に幼稚園から要請を受けた洋裁得意な母、

それを見送る先生達が出てきた。

インド人母の顔は晴れ晴れとしていた。

私に気が着いた先生は、

「衣装は全部仕上がりましたから、安心してください。」と仰った。

私は先生のご苦労を思って頭を下げた。

そしてこの時期御自分も多忙なはずの洋裁得意な母にも頭を下げた。

他の人までうちのグループの事に巻き込んでしまったことに、

謝りたかったからだ。

そして本心ではなかったけどインド人母には、

「次回の説明会には来て下さい。」と頭を下げた。

来てくれなければ困るから。

子供がお遊戯頑張っているクリスマス会を成功させたいから。

私が下でに出て頭を下げてもらったのが、

優越意識をくすぐったのかインド人母は満足げに見えた。

 

この日以来、

私は英語を話すことを一切止めた。

正直に吐露すれば、

錆付いていた私の英語をブラッシュアップさせる為に、

インド人母を利用するという気持ちも少なからず私にはあった。

何も純粋にインド人母を助けたいという一心ではなかった。

しかし、相手は私よりしたたかであった。

私が日本語に切り替えてから、

インド人母も英語を使わなくなった。

当然、私に文句も言ってこなくなった。

文句を言うほどの日本語力はないはずだからだ。

 

このインド人母一人を見て、

全てのインド人母がこうだとは思いたくない。

しかしインド人の多い私の街にはこういう噂がある。

手伝ってあげても、

やってもらって当たり前、

してもらって当たり前になっちゃうからインド人には気をつけたほうがいい。

というのを私自身が身を持って体験してしまった。

この私の体験を日本の永住権を持つヨーロッパ系白人のエリーさんに話すと、

「インド人はお金持ちに生まれたら、

勉強だけすればいいと親に言われて育つ人は多い。

なんでも人にやってもらって当たり前という人は、

インド人に限らずどこにでもいる。

自分の子供のことは自分が日本語が出来ようと出来まいと、

自分で働きかけなければいけない。」となかなか大人な御意見。

 

もう一人同じインド人の年長の母に話すと、

「responsibilityの問題です。

自分の子供が通っているのですから、

分からないことは自分で聞きます。」と。

このインド人母は私や先生によくわからないことがあると質問した。

年少のインド人母は滅多に聞いてくることはなかった。

先生からの連絡もわかっているのかどうか、

先生自身が不安がっていた。

先生が日本語で何を言っても「ハイハイ」と流していたからだ。

幼稚園のお手紙は日本語のわかるダンナが読んで、

インド人母に伝えているようだった。

それを感じて私は先回りしてインド人母に英語で伝えていた。

これが良くなかった。

 

ここで改めて思ったのは、

日本人は優しい。

日本語が出来ない人に優しい。

これが英国なら英語が出来ない人は幼児扱いだし、

役所でも駅でも学校の窓口でも肩を竦められて相手にしてもらえない。

英語の読み書きが出来なければ、まともな応対は受けられない。

そういう厳しい面がある。

でも日本では「あらあら大変。じゃあ、私が替わりにやってあげましょう。」、

みたいなことになっちゃうんだろうねぇ。

でそれに乗じる外国人もいるってことね。

 

子供の頃に天気予報見てて、

「はろう注意報」って言うのが意味不明だった。

波浪って漢字がわからなくて「hello」だと勘違いしてた。

しかもかなり長い間。

それでこういう風に解釈していた。

外国人が日本にたくさん来て、

みんなが日本人にいっせいに「ハロー」って声掛けするんだと思っていた。

小さい頃住んでいた街に米軍キャンプがあって、

アメリカ人の子供の乗るスクールバスが目の前を通ると、

バスの中からみんなハローって声掛けしてきて、

私たち日本人の子供達もハローって返したから。

 

それで私の今住んでいる街は本当にハロー注意報になっちゃったってワケ。

そんぐらい、インド人が沢山住んじゃっているワケ。

私は少しインドに疲れた。

 

 

 

 

 

 

 






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最終更新日  2009年11月22日 00時08分13秒



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