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カテゴリ:カフェ感
川崎磯信さん
1991年11月12日、霞ヶ関の食糧庁に、段ボールの箱を持った一人の男が やってきた。 彼は、受付で挨拶すると。。。 ”自分をヤミ米を販売した罪で告発してほしい。違法行為の書類も持参した。”といった。 当時、政府の管理下にない米、つまりヤミ米を売るのは違法行為だった。 だが食糧庁は、彼の自首を無視。 しかしマスコミが騒ぎ出し、日本中が大騒ぎになってゆく。 彼、川崎さんは、富山で米を作りながら、米屋も経営していた。 熱心なコメ農家で、コンテストにも何度も入賞する努力家だった。 はじめのうちは、政府のコメ余りによる減反の指示にも素直に従っていた。 しかし、何年経っても政府の言うとおりにしているのに結果が悪くなる一方。。。 政府に説明を求めるても、納得のいく説明はない。 川崎さんはとうとう減反を拒否。 食糧庁も報復に出ます。。。ファイターです。 当時、コメは政府の管理下でしか合法的に売ることは出来ませんでした。 ”川崎さんのコメを政府は一粒たりとも買い取らない”という行動にでます。 困り果てた川崎さん、コメを知り合いに販売し始めます。 これが、うまくて安いコメで大評判となります。 川崎さんは、なぜそんなに喜んでもらえるのか当時は分からなかったそうです。 そこで川崎さんは理由を考えた。 すると、農家はおいしいコメを作っているのに、消費者のもとには届かない。 なぜか、 食糧管理法が利権確保の道具になっていたことをその時、彼は知る。 彼は行動した。 自分がヤミ米を売った罪で裁判にかけられ、コメ流通の矛盾を明らかにする戦術を取ります。 裁判にかけられるため、わざとヤミ米商人になるのです。それも、わざわざ自分はヤミ米屋 だと宣伝しながら。。。 商売は瞬く間に成功。富山県一のお米屋さんになります。当時の彼のところには、 農協の方も出入りしていたらしい。 その事実にたいして、食糧庁は沈黙。 さらに、川崎さんは別な方法に出ます。 こんどは税務署に行き、収入を明らかにした上で、税務申告を拒否するから 脱税で捕まえてくれと宣言する。 結 果 川崎さんは、食管法違反で300万円の罰金を科せられ法律上は敗北する。 しかし、その後、片田舎のひとりのお百姓さんが、戦前からあった法律を廃止させ 1万6千人の食糧庁を解体させた事実はあまり知られていない。 現在、コメの流通の世界は、おおむね川崎さんの考えたとおりのものになってきている。 だが、資本主義の論理のもと、コメの価格は下がり続け、減反も続き 農家の方にとっては厳しい環境にあるのもまた事実ではある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.02.25 17:56:40
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