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カテゴリ:カフェ感
2005年4月25日、JR福知山線で脱線事故が起こった。
乗客106名が亡くなるという未曾有の大惨事だった。 このとき、JR西日本の職員は、事故車両に乗っていたにもかかわらず、 救助活動を行なわなかった。また懇親会などというイベントを のん気に行なっていた部署もあった。 東日本側にいると、JR西日本の落ち度ばかりが報道されていた。 そんななかで、一つの会社が人命救助に必死で取り組んでいたという事を、 私は後から知った。 その会社の名前は、”日本スピンドル製造株式会社”という。 この会社は、事故現場から50メートル近くの場所にあった。 大きな衝突音に気づいた社員がすぐに現場に走り、事故を確認し救出作業を開始した。 知らせを受けた、斉藤社長は、直ちに工場の全ての操業を停止するよう命令した。 そして全社員(約270名)を食堂に集め、全力を挙げて救助作業に当たるように指示する。 社員達は、手に、救急箱、はしご、消火器、カッターやバールなどの工具をもって 現場に急いだ。そして、助けを求め、うめき声を上げる人たちを励ましながら 救出していった。思い出すとテレビ映像の中に薄い水色の作業着の人たちが移っていたが、 あの方たちが、消防でも、警察でもなく、日本スピンドルの社員たちだったのだ。 負傷者は次々と助け出され、電車の座席などに横たえられ応急手当を受けた。 当初、電車が折り重なっていて事故現場と目されたマンション反対側が注目されていたため、 負傷者が集中したマンション西側にはなかなか救急車が到着しなかった。 そこで、日本スピンドルの社員達は、助け出した負傷者に応急手当をした後、 自分たちのマイカーや、工場のトラックなどで病院にピストン輸送した。 その間、病院・警察・消防などに「事故発生、負傷者多数」を告げ、負傷者には ”がんばれ!きっと助かる、大丈夫”などと励まし、声をかけ続けたのだった。 そして、130人以上もの尊い命を救った。 その後、消防、警察、レスキュー隊などが駆けつけた後は、 防災関係者の足手まといになるとの判断で斉藤社長は社員を引き上げさせた。 見事な危機管理、見事な出処進退だった。 大惨事の中で彼らの活躍だけが、少し救われた。 わたしだったら、はたして工場の全操業をストップする判断を瞬時にすることが 出来ただろうか。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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