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カテゴリ:ワコールをつくった男/塚本幸一
以前。ブログで、トリンプ元社長の吉越浩一郎さんの話を書いた。 日本で三流ブランドだったトリンプを、一流ブランドに育てた男。 そして、いま、ワコールを創業した立石泰則の本を読んでいる。 読むきっかけとなったのは。。。 私は、アメリカの百貨店、ノードストローム百貨店が大好きなんです。 むかし、どうしてもノードストロームの接客を”生”でみたくて、 それだけの理由でアメリカへ行ったことがあります。 ノードストローム百貨店には数々の伝説があります。 カリフォルニアの住民に、町がアンケートを取ったそうです。 ”今、町に必要なものを教えてください? ”というものです。 町としては、 道路の整備、図書館の充実、などの公共施設への回答を期待していたですが。。。 住民達が、一番、町にほしいものの第一位にあげたのは。。。 ”ノードストローム百貨店” その理由が、またすごい。 ”買い物がしたいから”という意見は少なく、 実際に多かったものは、 ”人間性が豊かになる。” ”治安がよくなる” ”町の格が向上する。”という理由が多かったそうです。 前置きが長くなりました。 じつは、日本のワコールは、アメリカでも頑張っている会社です。 トヨタやソニーだけではないんです。 ノードストローム百貨店では、表彰式があります。 ”パートナー・イン・エクセレンス賞”というものです。 この賞は、ノードストローム社の取引先、3万3千社ある仕入先の中から、 ”もっとも優秀なメーカー”として評価された企業に与えられるもので、 ワコールを含めて、受賞したのはわずか4社だったんです。 ワコールが選ばれた理由は、 品質、価格、販売員への教育、情報提供、 コンサルティング販売力、クレーム処理力などの様々な分野で評価されたからだった。 アメリカの人々から、 接客がずば抜けてすばらしい百貨店といわれているノードストロームから、 接客がすばらしいといわれた、米国ワコールがそこにはあった。 ワコールがアメリカに進出した当初。。。 ワコールの製品は売れなかった。 和服の国の会社が洋装下着を持って、洋装下着の本家へ売りに行くのだから当たり前だった。 カリフォルニアの寿司屋が、日本で寿司屋をやるようなものだ。 うまくいくはずがない。 ワコールはアメリカで巨額の赤字を垂れ流し続けたのだった。 さすがに、アメリカワコールをいつまでも放置してゆくわけには行かなかった。 ワコール社内では、社長の塚本への不満が山積していた。 日本で血のにじむ思いで稼いだ利益を、社長の道楽でアメリカで浪費していると 社員達は、影でうわしていた。 とうとうワコールの財務担当責任者の中村が塚本に詰め寄った。 ”もう止めましょう。” すると、塚本は。。。 ”日本のワコールの全利益をつぎ込んでも、これはわしの夢なんだから、やるんや。” 後に、ワコールの財務責任者の中村は振り返って、 ”普通の経営者なら、自分がもう止めようと言い出しても、ちっとも不思議じゃないような 状態やったんやわ。全社員の批判の中で、一人でそれに耐えきったわけだから、立派だよ。 現地の人だって、会長がフラフラしていたら、彼らだってフラフラつきよるからね。 会長もがんばってはるから、現地の人間も付いてきたんだ。” 実に胆力のある経営者である。 その塚本、実はインパールの生き残りだった。 強いわけである。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.02 10:27:09
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