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カテゴリ:ワコールをつくった男/塚本幸一
ワコール社長、塚本幸一のもとに一通の手紙が届けられた。
その手紙の中身とは。。。 米国ワコールに届けられた、お客様からのサンクスレターだった。 ”ワコール様 サラ・リチャードさんに対して、私の感謝の気持ちをお伝えいたします。 昨日、ディラーズ(アメリカの百貨店)でのことでした。 そこで彼女は、いろいろなことを教えてくださったのです! いま、わたしは25歳です。自分のサイズさえもよく知りませんでした。 それを彼女は馬鹿にするとか、おしつけるとかではなく親切に、丁寧に、 そして楽しく、ブラの選び方を教えてくれました。 ワコールにはサラ・リチャードさんのような素晴らしいセールスの知識を持った 社員さんがいるのですね。けっして彼女を手離さないで!” この時、米国ワコールの累積赤字は、120億円を超えていた。 しかし、天下のノードストローム百貨店からの信頼を得てからは、 風の向きが、すこし変わってきた。 お客様からの感謝の手紙と比例するかのように売り上げは伸びていった。 そして、1995年、とうとう単年度ではあるが黒字に転換した。 米国ワコールは、全米300もの百貨店に売り場を持つ 高級下着メーカーの一つとしてアメリカ人に認められたのだった。 若い頃、挫折の連続だった、ワコール社長、塚本幸一の脳裏には、 このとき、どのような想いが去来していたのだろうか。 塚本少年は、中学を出ると働くことになった。 家が貧しくて進学できる状況になかったからだ。 さっそく大阪にある綿布問屋の就職試験を受けた。 みごとに不採用となる。 就職試験に絶対の自信があった塚本は。。。 頭に”カーッ”と血がのぼり。。。 自分を落とした大阪の問屋へ向かった! そして入り口玄関の前に立っていた。 塚本は。。。つぶやいた。 ”よくも、 俺ほどの人物を採用しないとは、後できっと後悔するぞ! 今に見ておれ、 かならず、お前の店より大きくしてやるぞ!” すると、塚本は。。。 店の前で小便を振りまいたのだった。 結局、就職できなかった塚本は、自分の家の手伝いをする他なかった。 塚本の社会人スタートはとても暗いものだった。 まさか、この時、小さな会社から不採用になるような人物が、 将来、世界のワコールを作るとは、だれひとり思わなかった。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.02 10:26:06
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