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カテゴリ:松下幸之助
京セラ創業者、稲盛和夫はいう。
”生半可な努力では、神様は助けてくれない。” 巨人と巨人のやり取りは、凡人にはシビレる。 稲盛和夫が、 京セラを創業してまもなく、 松下電子工業(現・パナソニック電工)から ブラウン管のキーパーツ・U字ケルシマの受注を受けて納めていた。 当時、 松下の値引き要求は、すさまじいものだった。 ”一割下げてください。” 稲盛は、松下の要求どおり下げた。 翌年、さらに松下は、もっと厳しい要求をしてきた。 ”二割下げてください。” 納品量が増えたわけでもないのに。。。 ”前の値段から、1年も経ったのだから二割下げてください。”というのが理由だった。 稲盛は、しかたなく、さらに二割下げた。 さらに、 松下からの値引き要求は続いてゆくのだった。 やがて、日本は高度経済成長期。 テレビの受注量も増えていった。 すると、松下は、 ”量産効果が上がっただろうから値引きをしてください。” ”製造技術に習熟したはずだから安くなるはずです。”といって 再び稲盛に値引き要求をしてきた。 この頃、関西で、あるうわさが流れていた。 ”松下は、下請けつぶしだ。” ”松下は下請けを喰って大きくなった会社だ。” 事実、倒産した会社は少なくなかった。 しかし、倒産していった会社の多くが、 不思議と、松下の厳しい値下げ要求に腹を立てた会社ばかりだった。 稲盛はこの時、こう考えた。 ”ようし、おれは、逆に、恨みを”内”にむけてやれ!” ”松下にそれだけ言われるのなら、とことん合理化し、安くつくってみせよう” 松下の要求はさらに激しさを増す。 こんどは、稲盛に ”決算書をもってこい”と要求してきた。 稲盛が、松下に決算書を持ってゆくと。。。 さらに。。。要求された。。。 ”お前のところは、利益の出しすぎだ!” ”もっとまけられるはずだ。” ”一般管理費が、こんなに要るわけがない。” ”まだ、あと3%は値引きできるはずや” 稲盛は困り果てた。。。 これでは、儲けがなくなってしまう。。。 しばらくして、 稲盛は、松下に、脚色した決算書を持って行き、訴えた。 ”このとおり、ついに赤字が出てしまいました。” ”5%の適正利益はいただきたい!” 松下の購買係りは、稲盛に言った。 ”では、もう納めなくていいよ。” この瞬間、若き日の稲盛和夫は。。。 ”原価計算は、なんの意味もない。” ”あるのは、ただ一つ冷徹なマーケット・プライスだけ” 松下が、”もう納めなくてよい。”と簡単にいう言葉の裏には、 同業他社が、同じ製品を、 うちより1円でも安く納められるという事実があるわけで、 うちの努力が足りないということなんだ。 そう、 だから松下の強烈な値引き交渉に腹を立てて去っていった会社が、 不思議とその後、倒産してしまうのは、 つまり、競争力がなくなってしまっていたからだったのだ。 それなのに、他人(松下)のせいにしていたのだった。 稲盛は笑っていう。 ”松下さんには、徹底して鍛えられましたよ!” 最後にいつものフレーズを。。。 ”松下電器は人をつくる会社です。あわせて家電も作っております。” お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.06 18:32:27
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