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カテゴリ:カフェ感
以前、 セブン-イレブン・ジャパン会長の鈴木さんは、 雑誌のインタビューにこう答えている。 雑誌記者 ”後継者の問題はどうお考えですか?” 鈴木会長 ”後継者は育てるものではなくて、現れるものだ。” 。。。わたしは、 この会話を聞き。。。鈴木会長も普通の人だと思った。 しかし、それほど ”人”の問題は難しいということでもある。。。 話を戻すと、 いま、新しい店舗の店長が見つからない。 先日、 ある店舗にコーヒーを飲みに言った。 とても優れた接客をする女性に出会った。 みごとにチームを掌握し、スタッフの動きも見ていてすがすがしい。 まさに、孫子(そんし)の、 ”善く戦う者は、人に致して、人に致されず。”を実践されている方だと感じた。 その後、コーヒー好きの私は。。。 コーヒー豆の売り場をなんとなく眺めていた。 すると、その女性店長がコーヒー豆の説明をするためにわたしのところへ。 せっかくだったので、 店長さんに、いくつかコーヒー豆の質問をさせていただいた。 どうやら、やはり、”本物”だった。 ”みつけた!” さっそく、 その女性店長さんのお店を経営している会社の社長さんにお会いした。 ”あの女性の店長さんを新店舗にぜひともほしい。”と切り出してみた。 すると、社長さん ”いいところに目をつけましたね。 あの店長は、以前、福島で5店舗を統括していた マネージャーだったんですよ。今回、ちょうど実家(山形)に帰ってくることになり、 いまの店舗を見てもらっているんですよ。” ”うちのあの店は、基幹店舗ですので、あの店長をはずすことは出来ません。” わたし ”やはり、そうでしたか。。。(笑)” 社長 ”あなたが直接やったらいいじゃないですか?” わたし ”今回は、本気でがんばろうと思っております。” ”今回は、ちゃんと店舗を作ろうとおもっております。” ”ニューヨークぐらいまで、伸ばしたいと考えております。生意気ですが。” ”だから今回の店舗は無能な人間に店長は任せられません。” ”だから、わたしではダメなんです。” ということで振り出し。。。 帰りに、 気分転換に大北海道物産展へ 平日だというのに、すごい行列。ざっと130名くらいはいるだろうか。 日本人は生キャラメル好きだ。。。 わたしは、その列とは無縁のお菓子売り場へ、 音更町(おとふけちょう)の柳月という会社のつくるお菓子、”三方六”と 北見の世界一のハッカアメを買い求めた! わたしが両手に三方六をもってレジに並んでいると、 おばあちゃんが話しかけてきた。 おばあちゃん ”あんた、キャラメルはかわないんかい。” わたし ”わたしはチャラチャラしたお菓子は、好きじゃないんですよ。” おばあちゃん ”あんたのもっているお菓子はどこの売り場にあるんだい。” わたし ”あそこのかどを曲がった一番奥のところにありましたよ。” おばあちゃんは、わたしの説明した方角へ、 ”ありがとう”という言葉を残し、人ごみの中に消えていった。 余談だが、 三方六というお菓子は1965年、 北海道の開拓100年目を記念して作られたお菓子であり、 日本で、最初にバウムクーヘンブームを起こしたお菓子でもある。 ちなみに以前、 この日記(ブログ)で、三方六をつくっている会社の社長さんの プロフを紹介したことがあったので参考までにはっておきます。すばらしい方です! こちら↓ 北海道は、じつに不思議なところがある。 日本の有名なパティシエ達は、だいたい東京周辺でお店を開いている。 そして、その世界的に有名な日本のパティシエたちの店の売り上げは、 じつは北海道のお菓子屋の売り上げに遠く及ばない。 六花亭、ロイズ、ルタオ、など北海道には超一流のお菓子屋がたくさんある。 今日紹介するお菓子屋は、帯広市にある柳月。 このお菓子屋の名前を知っている日本人は少ないと思う。 北海道、帯広市の人口は17万人。 柳月の従業員数は600名。 売り上げは、75億円。 さらに驚くことに、この会社、毎年大卒者を40名ほど採用しているのだが、 応募してくる学生数は、ざっと4000名を超える。 つまり倍率は100倍以上になる。 柳月の創業者は、田村英也という。 農家の四男に生まれ、日本が戦争中は中国へ渡っていた。 やがて敗戦となり、大陸から戻ってくる途中、ある出来事に遭遇した。 汽車は、貨物列車といったほうがいいようなひどい状況。 通路やデッキは人であふれかえり、引揚者でごった返していた。 異臭が漂い、殺伐とした空気が流れていた。 その中に、一人の若いお母さんが、小さな子どもを抱きかかえて席に座っていたそうです。 ご主人は戦死してしまったのかもしれません。 ”この子だけは”という感じで、強く抱きしめていたそうです。 田村さんが汽車に乗った時から、その子どもは、ずっと泣いていたそうです。 命からがら、中国から逃げてきたので食うや食わず。 しかも貨物列車のような車内は蒸し風呂状態。 子どもは少し寝ると、また大声でなく、その繰り返しだった。 夜になってもそれは変わりません。 それどころか、子どもの泣き声はますます大きくなります。 そういう状況が続くと、みんないらいらしてきます。 汽車に乗っているのは、兵隊だった人も多く、ささくれだった雰囲気が漂います。 田村さんはそんななか、この親子がどやしつけられなければいいが、という思いで、 かばうようにその親子の近く、斜め後ろに立っていたそうです。 しかし、そうは思っていても、立ちっぱなしで眠ることも出来ないし、蒸し暑いし、 子どもの泣き声は大きいしで、自分自身も限界に近い感じだったという。 すると、その時、田村さんの隣にいた、ボロボロの服を着た痩せ細った男性が ポケットから包み紙を出し、 ”お母さん、これっぽっちしかないけど、食べさせてあげなさい。”と言って キャンディを差し出してくれたそうだ。 どこで手に入れたか分からないような小さな小さなキャンディでしたが、 その最後のひと粒をお母さんに渡すのです。 お母さんは深々と何度もお礼をして、子どもに食べさせてあげたところ、 子どもが泣き止み、それどころかニコッと笑ったそうです。 ”あの子どもが、いちばん好きであろうお母さんが朝から晩まであやしても 泣きやまなかった子どもが、たったあれっぽっちのお菓子を食べた瞬間、 泣きやんで笑った。いったいこれはどうしたことだろう” ”お菓子はお母さんの愛と同じではないか。 お菓子には、そんなに人の気持ちを安らげる、人の心を魅了するような力があるんだ” 田村はその時、そう思った。 そして、”お菓子屋になろう!”と決めた。 田村の口癖は二つある。 一つは、”会社の目的は地域の人々を幸せにすること。” 一つは、”自分の会社がなかったら、お客様が困るような会社をめざしたい。” 北海道に行くと、柳月のお菓子が取り持つ縁で結婚された方の話など うそのようなほんとの話を聞くことがある。 柳月がなぜ北海道から出ようとしないのか、聞いたことがある。 田村は言う。 ”わが社はお菓子だけを売っているわけではありません。 お菓子といっしょに、”北海道”も包んで売っているのです。 本州では北海道を包めませんから。 わが社は、この北海道を離れる気はありません。” テレビに出演しコンテスト狙いのケーキ職人と、 田村の目指す、お菓子の”意味”は違う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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