|
カテゴリ:松下幸之助
松下幸之助 ”大切なのは、まず、人を信頼すること。 信頼してだまされるなら本望と思えば、 あんがい、人はだまされんもんや” 松下電器(現パナソニック)のスタートは1918年(大正7年) 松下幸之助と、妻と、妻の弟の三人で始めた、”松下電気器具製作所”からだった。 創業当時の主力商品は、電球ソケットだった。 幸之助の作るソケットは、性能が良く、よく売れた。 3人だけでは、忙しくて、どうにも仕事が回らなくなってきた。 あたらしく人を雇い入れることにしたのだった。 すると、幸之助は同業者の友人からこう忠告された。 ”やめといたほうがええ。 他人を雇い入れたら製造方法が外に漏れてしまう。 ライバルが増えるだけだ。わしらも、あんたも損するで。” そう、当時の電球ソケットは、俗に”練り物”と呼ばれる材料でつくられており、 その練り物の作り方、配合は、企業秘密だった。 ”練り物”は、石の粉、アスファルト、などを混ぜ合わせてつくるもので、 その配合の出来、不出来によって商品の品質が決まってしまうものだった。 そのため、製造方法が外部にもれないように、当時の工場では、 身内や親類縁者などで作業をするのが一般的だった。 松下幸之助も、もともとソケットの開発がうまくいかなかった時、 練り物の技術を盗むため、 専門工場の窓越しに、よく覗きに行って追い払われていたのだった。 幸之助は、同業者の忠告を受けて。。。考えた。 ”自分の工業で働いてくれる仲間に、 そんな態度でええんやろか。 第一、秘密にしたら面倒で能率も悪い。 大切なのは、まず信頼することや。 信頼してだまされえるなら本望と思えば、 あんがい人はだまされんもんや。 あらかじめ、この製法は大事な情報だからと、 ちゃんと説明すれば、 むやみに人は裏切ったりはしないものだ。 。。。幸之助は、従来の慣習を破り、どんどん企業秘密を新人にも教えていった。 新人は、幸之助のこの姿勢に、 ”こんな重要な秘密まで教えてくれて、 しかも、こんな新人のオレに大事な仕事を任せてくれた!と、 ますますやる気をだした。 その後も、幸之助は、これはと思う社員に思い切った責任と権限を与えていった。 そして、信頼された社員達は、大きな結果をだし幸之助に応えたのだった。 もし、 幸之助が、従来からあった商習慣を守っていたら。。。 同業者からの忠告を守っていたら。。。 いまも、3人だけの町工場だっただろう。 おそらく、世界企業パナソニックにはなっていなかったと思う。 松下は、”技術力”で会社を大きくしたのではない。 ”人間力”で会社を大きくしたのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.06.02 06:54:51
コメント(0) | コメントを書く
[松下幸之助] カテゴリの最新記事
|