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カテゴリ:織田信長
初夏の太陽、 乾いた大地、 武田勝頼は、しばらくのあいだ、 いっぽんの旗を じっとながめていた。。。 其疾如風、 早きこと 風のごとし 其徐如林、 静かなること 林のごとし 侵掠如火、 侵略すること 火のごとし 不動如山、 動かざること 山のごとし ”風林火山 ” 勝頼は、得体のしれない暗い胸騒ぎをおぼえていた。。。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 織田信長軍3万。 徳川家康軍8000。 長篠城の手前の設楽が原に着陣した。 長篠、設楽が原は、山と山の間に開けた、小さな原っぱだった。 この原っぱを大きな川が横切っており、 川の周辺には大湿地帯が広がっていた。 原っぱといっても、小さな丘が幾つも連なる場所であって、 相手の陣地までは、見渡せるほど視界がよい場所ではなかった。 織田信長は、 ずいぶん前から、この地を武田勝頼との最終決戦場と考えていた。 武田勝頼を、この地、長篠、設楽が原に引きずり出すために、 ずいぶんと信長は手の込んだ裏工作を繰り広げてきた。 信長の仕掛けた情報戦もいよいよ最終局面となってきた。 信長は、川(連吾川)を堀に見立てて防御陣の構築をする。 川をはさむ台地の両方の斜面をおおきく削って人工的な急斜面をつくり、 さらに三重の土塁に頑丈な馬防柵をすきまなく敷いた。 当時の日本としては空前絶後の野戦築城だった。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 武田勝頼のもとに、 織田信長の重臣の一人から再び密書が届く。 ”武田殿、信長公は、貴殿と戦をすることを望んでおりません。 なぜなら、武田は日本一の軍隊だという事を信長公はだれよりも存じているからです。 だから、この度の戦は引き分けで十分だと考えておいでです。 武田殿と引き分けることができれば、信長公は勝ちだと考えております。 信長公は、武田殿との引き分けた事実を全国へ流布(るふ)する考えです。 ”武田勝頼くんと闘ってみたが、あんがい ずいぶん弱かった。 父親の武田信玄とは比べ物にならないくらい才能のない武将だった。 ” ネガティブキャンペーンをはり、信長軍の影響力を高めようとしております。 そのため、信長公は出来るだけ戦をさけるため、 大きな堀や、 馬防柵、 多数の鉄砲を用意し守りに徹する考えです。 柵を設けて、信長公は その柵からは一歩も出ることはないでしょう。 武田勝頼殿、これはチャンスだとは思いませんか? 信長公は、武田殿は戦上手(いくさじょうず)、 守りの堅さ(かたさ)を見て、 武田殿は無謀な戦争は仕掛けてこないだろう。と思っております。 そこに油断が生じます。 武田殿が攻撃をはじめ、 わたし(信長の重臣)が内部から信長公を攻撃すれば、 いかに信長公でも、 いきなり前と後ろから攻撃を受けたのでは、 今までのようには戦えないでしょう。 勝利は我々の側にあります。 ” 勝頼は、密書を読み終わると。。。 ”これより長篠、設楽が原へむかう!” 長篠城は戦略的に意味がない。 包囲して落としたところで、なんの手柄にもならない。” 救援に駆けつけてきた信長を 先に撃つ。 さすれば枝葉の、長篠城など自然と枯れてしまう。 長篠城には、抑えの兵3000を残し、 本体1万は、長篠、設楽が原へ向かい、信長を殲滅(せんめつ)する。” この話を聞き、 武田信玄時代からの重臣(武田四天王)、 山県昌景、 馬場信春、 内藤昌豊らは、 こぞって、撤退を進言する。 しかし、 怒りに燃える勝頼の耳には届かなかった。 勝頼は、信長の仕掛けた情報戦によって判断力を狂わされてしまっていた。 もはや客観的な判断は出来なくなっていた。。。 戦が始まる。 何度、信長軍に突撃しても、 織田軍からは。。。 ” 一人の裏切り者もでなかった。 ” 武田の名将たちは、 織田の名もない足軽の放つ鉄砲に ひとり、 またひとりと ぬかるんだ暗い大地に倒れていった。 信長 ”サル(豊臣秀吉)、なぜ勝頼は負けたと思う” 豊臣秀吉 ”上様(信長)の知略が、武田殿を上回ったためかと。。。” 織田信長 ”たわけ!” ”勝頼は、わしに負けたのではない。 あやつは、自分に負けたのだ。 自分の中にある、”長所”に負けたのだ。” ”サル、きさまもサル知恵がはたらくやつじゃ。” ”明日は我が身ぞ ” 豊臣秀吉 ”ははぁ。。。。。。” これより すこし後、 織田信長も、自分より力の弱い相手(部下)によって、 天下取りの夢を断たれてしまう。 才能とは、人生の中では、 所詮、たいしたものではない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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