徳川家康 第3話 ” ルーツ ”
徳川家康のルーツ。有名な桶狭間の戦いで、徳川家康は、じつは織田信長に敗れている。徳川家康(19歳)は、今川義元の先鋒として戦っていたのだった。信長に負けて、逃げてきたのが、ご先祖様の墓がある大樹時。家康は、人生に絶望し、墓前で自害しようとする。すると寺の住職、登誉上人がやってきて”厭離穢土欣求浄土(えんりえどごんぐじょうど)”と言って、家康を諭した。訳すと ”乱れた戦国の世を収め、地上に極楽浄土をつくりなさい。”それがお前の役目だ!と言われた。以来、家康は、この言葉を、みずからの”旗”として戦うことにする。武田信玄が三方が原の戦いで家康にとどめを刺さなかった話をしたが、信玄は、戦いの中で、家康の旗 ”厭離穢土欣求浄土”を見ていた。信玄の旗 ”風林火山”とは、比べようもないほどスケールのでっかい、家康の旗だった。信玄はうれしくなった。”小僧。。。”後に、武田家が息子の代で滅亡した時。。。家康は、武田の遺臣たちを積極的に召抱える。そして、自分の五番目の子どもの名前に、”徳川信吉”と命名する。信玄の”信”の字が入った名前だった。そして、信吉に武田の遺臣たちを部下として付ける。それが、徳川御三家の一つ、水戸徳川家の始まりだった。若い頃、負け続けた家康が、戦国時代、最後の勝者になれた理由は? と聞かれたら彼は、きっと、こう答えるだろう。勝った理由は ” 若い頃、負け続けたから ” 負けを知る人間は強い。