怖い話もう一発
そう言えば、なんですけれども。4月末の連休中に鹿児島県鹿屋の航空資料館に行ったのです。鹿屋は永遠の0の舞台になった場所です。宮部さんが特攻する直前に勤務していた基地です。映画ロケ地ではありませんが、永遠の0に関するお土産などもありました。実際にここから900名以上の特攻隊員の方々が飛び立ち、散華されています。航空資料館はその特攻の資料がたくさんある所です。鹿屋基地は現在は自衛隊の基地として使用されていて当時の遺構も残っています。航空資料館はなんと無料で入れます。無料では申し訳ないほどの資料がたくさんあります。海軍関係は、撮影禁止でした。特攻の部屋に入る時、ものすごい風が吹き付ける様な感覚になりました。お部屋の壁一面に特攻で亡くなった方の遺影が飾られてあって圧巻。あの風は特攻時のスピード感なんでしょうか。目が回るような感覚にもなりました。一礼しなくてはとても入ってはいけない雰囲気がありました。写真には特攻作戦名、出撃基地名、特攻隊名、出撃日などの記録付きです。皆さん涼やかで幼さも残る紅顔の美少年ばかりでした。特攻前に書いた遺書もたくさんありました。皆さんとても達筆な上、内容は残された家族に対する愛。そして自分が亡くなったあとの事を色々心配しています。自分が死に向かうことに対しては微塵も不安を覗かせることなく。なんと言う強い精神力を持った方々なのだろうと思いました。それがわずか20歳前後の若者たちなのですから、なおさらです。どの遺書からも深い愛情が感じられました。その中でたった1点。白マフラーに書かれた「大元気 行くぞ」の大文字。この人はちっとも元気じゃありませんでした。哀しみがもの凄く伝わってきて思わずもらい泣き状態に。それでも大元気!と書いて自分を鼓舞して出撃されたのだろうと思います。帰京する日の朝、串良の地下通信施設跡地を見学させて頂くことができました。ここは私有地の中にあるので勝手には入れません。普段は施錠されております。この地下通信施設は頑丈なコンクリート作りで表からはほとんど分らないような場所に作ってあります。他の防空壕なども同じような作りでした。手前の大きな部屋は壁の両側に棚のようなくりぬきがあってそこに電線が出ており、きっとここの四角い穴に通信機を置いてあったんだろうなと思います。写真を撮るのに、どうしてもフラッシュがたけませんでした。フラッシュボタンを押してるのに反応しないのです。と言うかフラッシュボタンがグレー状態になっていて押せないのです。どうしたもんか、と悩みましたがフラッシュをたくなと言うことなのだろうとそのまま撮影してきました。その写真を見ると、ただコンクリートの四角い部屋が写っているだけなのですが目眩がして気持ち悪くなります。そして怖いのです。ある意味心霊写真なのかもしれません。そして地上に戻ってきた時、やたらと身体が重たくなってしまい「これはついてきちゃったな」と感じました。すぐに肩をパンパンと叩いてみたのですがダメです。仕方ないと思い、そのまま東京へ戻ってきました。ところが、です。東京へ帰ると、毎日毎日どういうわけかものすごく靖国に行かなくちゃならないと言う気持ちにおそわれました。でも仕事もあるし、靖国に行く時間はありません。でも靖国に行きたいのです。「ああ、これはついてきた人が行きたがってるんだな」と思いました。仕方ないので九段下駅を教えて都営新宿線で行けますから自力で行って下さいとお願いしました。きっと鹿児島の人なら東京のことは分らないだろうと思ったのです。そういう私、東京生まれですが今だかつて靖国に行ったこともなく方向オンチなので全く自信ありません。とにかく連れて行けないから自力でお願いしますと伝え続けて一週間。なんとか自力で行く気になってくれたみたいで。ちゃんと行けたかな。行けてるといいけど。皆様どうか安らかにお休みください、と祈ってやみません。合掌。