カテゴリ:旅行
そんなに高い山ではありませんが、ここを登る「動く歩道」があります。 片道200円 片道といっても「往復」はありません。片道のみ 呼び込みのお姉さんの声が魅力的 「鶴ヶ城はすべて階段で登りとなります! せめて飯盛山は楽に登りましょう!」 せっかくのお誘いなので200円払って楽に登ることに 白虎隊が自決をした場所は飯盛山の頂上ではなく中腹に当たる場所 どうももともと(なのでしょうか)墓地となっていた場所です 白虎隊は戊辰戦争が勃発した当時 15歳から17歳の少年たちで編成されました 今で言えば高校生ですね 彼らも戦いの場に打ってでました しかし 食べるものはなし 軍備もまた、大軍勢の政府軍が装備した西洋式の銃、砲弾の前には なすすべもなく 戦場の戸ノ口原から敗走します そして ちいさな疎水を通り抜けて飯盛山へと戻ってくるのです くたくたになって傷つき 会津の城下に戻ってきた 白虎隊の子どもたちの目には 信じがたい光景が眼下に広がっていました 激しい市街戦で町は焼かれ あちらこちらに火が上がり しかも こともあろうかお城にも火の手が! 「ああ もうお殿様も城と運命を共にされたのだ!」 しかし実はこのとき まだお城は持ち堪えていたのです 城下の白煙が 遠くに見える城が燃えているかのように見えてしまった あの日白虎隊の少年たちがみたであろうお城 同じ場所から眺めるも あまりにもせつなく無念さが伝わってきます お殿様と一緒に!と 首をかききるもの お互いを支え合いながら刀を向けるもの あまりに悲惨な光景が重なり合うようで 胸が痛みます このとき自刃したもの20人 しかし 一人だけ命を取り留めたものがありました 飯沼貞吉さん、 駆けつけた母に見つけられ一命を取り留めたのだそうです 彼によって少年たちの最期が伝えられ 飯沼さんは晩年まで白虎隊と会津のために 尽力されました いまでは白虎隊のお墓のそばで眠っていらっしゃいます 少年たちの亡骸は 政府軍によって長い間放置され その後会津の人々の手によって手厚く葬られました 山を下ると 途中 お土産屋さんにたくさんの白虎隊グッズがありましたが こればっかりは買う気にはなれなかったなあ せつない 山を下りる途中にある「さざえ堂」 登りと下りが重ならないという 不思議なお堂です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.16 14:12:31
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