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カテゴリ:オランダでお医者さんにかかる
みなさま こんにちわんこ。 太陽がのぞくと いつの間にか日差しにチカラを感じるこのごろ。 庭に埋めてすっかり忘れていたヒヤシンスやチューリップが 芽吹きだした。 春は近い。 さて、 週の初めに 先日この日記で書いた「日本人医師による無料オンライン相談」というのを受けた。 微妙な体の調子や様子を、語彙豊富な日本語で伝えられるのは、助かる。先生のおっしゃることも全部わかる。ああ、やっぱり言葉は大事だと 改めて感じる。(当たり前やけど) 医療相談の詳しいことは、下に添付している「オランダ情報」のお仲間が丁寧に紹介されているので 今日は なんとなく オランダと日本の死生観について書いてみようという気になった。 まずは このような「医療相談」をやってやろう、という発想は日本ならではだな、とつくづく思う私。 なんかあったらスグにお医者にかかれる国で育った我々日本人が泣いて喜ぶサービスだ。 こんな事、外国ではまずないんじゃないかと思う。 で、死生観の話だけれど 気のせいかもしれないが、私のそこそこ長いオランダ暮らしのなかで、何となくひっかかっていることがある。それは、ご近所のお年寄りが「しばらく見ないな」と思うと、ほぼ亡くなっていることだ。 ..................「ふっ」と、いなくなるのだ。 ついこの間、お庭の手入れをご夫婦でしていたのに。 ついこの間、犬の散歩してはったのに。 ついこの間、車の運転しているのを見たのに。............のにのにのに。 え? 病気やったんですか? で、ある。 オランダでは、最悪の状態ややむおえない状態の時以外は基本的に自宅で療養となる。 薬も必要最低限、検査は気が遠くなるほど待たねばならない。 人間ドッグのような全身の検査習慣もない。 日本のようにプライベートのクリニックや病院が多くないから、それは仕方がないのだろう。 事情はわかる。 近所のお年寄りが、ふっといなくなった、と思うのは 実は、長く患って自宅療養の果ての結果なのかもしれない。 けれど。やっぱりなんていうか、その根底には日本とは真逆と言っていいほどの死生観があるのじゃないか、と思うのだ。 誤解を承知であえてはっきり言うなら「そこそこ生きたら、もうええんちゃう?」で、ある。 日本は「健康長寿!!元気で長生きしましょう!」(ニカッと笑顔) が国民のスローガンのようになっていて、あっちこっちに「健康情報」が溢れている。行政からは「がん検診」だの「婦人科健診」だののお知らせが やいのやいのと親切に送られてくる。 たとえば、日本では確か30歳を超えたら「乳がん検診」を受けましょうと言われているが、 オランダでは、50歳からだと記憶している。初めて聞いたとき、ひどく驚いたのを覚えている。 専門家ではないから、どっちが正しいのかはわからないけれど、少なくとも日本は、早め早めの用心をということなんだろう。 オランダは、医療システムに限界があるから、お年寄りならそないしんどい思いや辛い治療をせんでもお家で機嫌良く過ごしてポックリいったらどうですか。ってな考え方が医療関係者(=医者)にしっかり根付いているような気がしてならないのだ。 私は、動けなくなってまで生きたいとは思わないけれど、そこに至るまでは やっぱりお医者に見て欲しいし、痛い目や辛い目はなんとか避けたい。家でお気楽に「お迎え」が来るのを待つほど強くない。 そう考えると、言葉でろくにお医者と話せない自分が心配になってくる。 今は元気だけど、さて どうなるのやら。 「そこそこ生きた」という 年齢は はたして 何歳くらいなんだろう〜。 お医者さんに聞いてみたい。聞けないけど。。。。「そこそこ」 動物の安楽死も定着している。執拗な治療は虐待になるという。 人間と同じ死生観だな。 いつもありがとう。 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
February 18, 2022 01:48:44 AM
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