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January 16, 2010
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カテゴリ:その他

rose.jpg

以前、つるバラを育てた事もありました

2年目にこの様に綺麗に開花

でも、次の年には病気になって枯れてしまいました

それ以来、薔薇作りは諦めていたのですが…

bird-line


1・17の震災記念日に思いだすこと

今年も1・17がやって来ました。
震災の時、私は社会人になっていた娘ふたりと夫の、親子4人で西宮市に住んでいました。

今、改めてその時の日記を読み返してみました。

**********


早朝の4:46に激しい揺れに起こされる。
まるで、遊園地にあるビックリハウスに乗っているようなもの凄い揺れ。
一瞬、何が起こったのか分からず、ただお布団の上で丸くなっていた。

揺れがおさまって、みんなの無事を確認。
私たち夫婦は、その時畳の部屋で寝ていた。足元の和ダンスと整理ダンス、それぞれ3段重ねだったのが、バラバラになって倒れていた。

もし、そのまま倒れていたら下敷きになっていた所。
夫の横にあったTVも倒れてきて、彼が手で支えていた。

長女は、ベッドの棚に置いてあったコンポや沢山の本類が頭の上から降って来たし、次女の足元の姿見もベッドに倒れてきたので、全員怪我がなかったのが不思議な位。

そして、いっせいに「ショナは?」
ショナは、その時飼っていたハスキー犬。
薄暗い中、慌てて階段を駆け下りで探しに行ってみると…

サンルームに犬小屋を置いて寝かせていたのだけれど、いない。
恐る恐る探してみると、庭の隅で震えながらうずくまっていた。
みんな、ホッと一安心。
怖かったのだと思う。当分の間、みんなから離れるのを嫌がったから。

暫らくして電気がついたので、TVを付けて見ると震源地が淡路島だとか…
びっくりして電話したけれど、通じない。
夕方、夫と私の両方の実家共無事だったと聞いて胸をなでおろした。

運よく我が家は無事に建っていたけれど、周りの家々はみんな全半壊状態。10m位歩いたら見える新幹線の橋脚も崩れていた。

道路も波のようにうねっていて、あちこちからガス漏れの匂いがする。
まるで、悪夢を見ているようだった。

水が…出ない!
勿論、ガスも…


近所の人に聞くと、近くに井戸水のある家があるので、みんなそこに汲みに行っているとのこと。家中の大きなお鍋やヤカンを持って汲みに行った。

1時間位並んで、やっとお水をGET。
でも、家まで運んでいるうちにこぼれてしまい、ペットボトルを沢山持っている人を羨ましく思ったものだ。

夕方、姪の夫が単車で20L入りのポリタンクにお水を入れたのと、卓上コンロ、パンなどを持ってきてくれた。
言葉では言い尽くせない位嬉しかったのを覚えている。

電車は、ひと駅歩くと、大阪・梅田まで走っていた。
夫と長女は大阪方面へ、翌日から出勤したので、必要な物は買ってきて貰う事が出来た。

日記を見ると、19日から、近くの小学校に給水車が来ていた。
その時は、長女が会社で頂いてきたポリタンクとで、タンクがふたつになっていたので、毎日40Lのお水が手に入った。

1日に使うお水の量が40L。
朝晩の洗面歯磨きと食事用、これだけで間に合わせた。

ガスと水道はとまっていたけれど、電気が来ていたので助かった。
電子レンジ、電気鍋、トースターが大活躍。
お正月の残りのお餅もありがたかった。
寒い日が続いていたので、エアコンが使えたのもよかった。

ただ、困ったのはトイレの水。でも、これも直ぐに解決した。
近くの小川からバケツで汲んで来て、バスタブに貯めておく。
用をたす前に、お風呂からバケツでトイレのタンクに水を入れるのだ。

一息ついた時、建物の崩壊から免れたことがちょっと後ろめたく感じられるようになり、近くの小学校へ何かお手伝いする事がないか尋ねに行った。

日記では、1月24日~3月7日まで炊き出しのお手伝いに行っている。

15年間、1500食の賄いをされていたという方が、ボランティアで応援に来ていた。
彼女は、毎日、300食の豚汁や飛鳥汁、カレーライスなどを、目分量で美味しく味付けされていた。

徒歩圏に関西学院大学、神戸女学院、聖和大学と、みっつの大学があるので、そこの学生たちも大勢手伝いに来ていた。

女子は、私たちと一緒に野菜を洗ったり切ったりする。
男子は、釜にくべる薪を探しに行く。薪になるのは、全壊した家の木材。
今まで住んでいたの家の木が薪になって燃えていく…ちょっと悲しい。

若い人から年配の人まで、雪がちらつく寒い戸外で、一所懸命働いてくれた。全国各地からボランティアがやってきて、小学校の理科室や図書室で寝袋で寝泊まりして応援してくれたのだ。

また、救援物資もいろいろと届いていた。
「少しですが、地域の人達でお金を出し合って買ったリンゴを送ります。大変でしょうが頑張って下さい」など、暖かなメッセージ入りで送られたきた。

人間て捨てたものじゃないって、つくずく思ったものだった。

水道が通ったのが2月8日の夕方。翌日、やっと洗濯が出来て嬉しいって書いている。
それまでは、遠いお風呂やさんまで電車で行って、隣のコインランドリーで洗濯ていたのだからから。

炊き出しのお手伝いをしていると、中には食べ物の文句を言う人がいたり、救援物資をみんなに配る時も、ひとりでいっぱい持って行く人がいたり…
小学校の体育館が壊れていたので、新しく出来たばかりの給食室が避難所になっていたのだが、そこがメチャメチャに汚れていたし、小学校の好意で借りていた食器も沢山なくなった。

人間の良い面、悪い面の両方を見たボランティアだった。
やっとガスが出た3月7日に、私のお手伝いを終了した。

**********


私の拙くて長い文章を、最後まで読んでくださってありがとうございます。











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Last updated  January 20, 2013 08:30:39 PM



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