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カテゴリ:淡路島
昔、淡路島には洲本~福良間に電車が走っていて、 私は、高校へ電車で通っていました。 始発駅の次の駅に 御陵東というのがありました。 淡路島に島流しになった 淳仁天皇の御陵の東の駅ということです。 子供の時から、その名前は身近でしたが、 何故島流しになったのかは、 あまり知りませんでした。 先月の初めに、 ふるさと探訪 =淳仁天皇淡路配流の伝説地をたずねる= というのがあって、夫と参加しました。 慶野松原 764年、政治の争いの犠牲となって 皇位を廃され、親王の名・淡路の公となって 御母の当麻夫人と共に淡路島に流されました。 船で上陸したのが、慶野松原です。 御所の松跡 天皇が上陸して鳳簾を止められた所と伝えられている。 野辺の宮 淳仁天皇を祭神としてお祀りしている所。 幽閉の場所は、明らかではありませんが、 野辺の宮であろうと言われています。 大炊神社 又、ここが幽居の地とも伝えられています。 幽閉生活が、あまりにも厳しかったので、 1年後に、思いつめて逃亡を図りましたが あえなく捕えられてしまいました。 そして、翌日に急死されたのです。 32歳の若さで… 自殺?他殺?病死? 謎のままです。 大炊神社・天皇塚 ここに埋葬されたと伝えられているので、 付近の住民は、今でも霜よけの菰を編み、 御遺体の埋葬場所と伝えられる杉の木の根元に掛け 天皇の霊をお慰めしています。 淳仁天皇 淡路陵(あわじのみささぎ) 1870年、明治天皇より 廃帝に淳仁天皇との御謚号を与えられ ここを御陵と治定されたそうです。 当麻夫人のお墓 そして、ここも一緒に治定されました。 左側奥に小さく見えるのが 天皇御陵です。 今も、御母君が傍で見守っています。 淳仁天皇をトップに仰ぎ、 政権を奪取しようとする勢力と、 それを阻もうとする勢力。 当人には、何の陰謀もないにも拘らず 罪人として淡路島に流され、 無念の死を遂げた悲劇の天皇。 いろいろとお話を聞いていると 憐れさを誘います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 14, 2010 07:37:01 PM
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