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カテゴリ:日本史
「教科書でもう1度学ぶ日本史 奈良時代」の一回目は、 7月1日(月)に行って来たのですが、 2日後に東北旅行に行ったので、 ブログに載せる機会がないまま一か月以上経ってしまいました。 これからもずっと、この日本史シリーズに参加する予定なので、 遅まきながら記録として残しておきたい思います。 奈良に付いて、早めの昼食後、 最初に行ったのは、平城京跡でした。 710年、元明天皇は藤原京から、 奈良盆地北部の平城京へと遷都しました。 この後、山城国の長岡京・平安京に遷都するまでを、 奈良時代といいます。 平城京は、唐の長安に習って、 碁盤の目に状に東西・南北に走る道路で区画された都市でした。 平城京跡は、発掘調査の後、 平城遷都1300年祭に向けて、 一部復元されました。 復元された平城宮の正門 朱 雀 門 元日や外国使節の送迎の際に、 この前の広場で儀式が行われました。 朱雀門前での歌垣の様子 朱雀門は衛士たちによって守られ、 常時開いていたわけではありませんが、 宮の正門としての権威とともに その勇姿を内外に誇示していたのです。 朱雀門を潜ると、遥か遠くに第 一 次 大 極 殿が見えます。 このだだっ広い広場も、 国内外への権威の誇示のひとつです。 日陰で、講師の先生から説明を受けました。 復元された第 一 次 大 極 殿 天皇の即位や元日朝賀などの国家儀式、 あるいは外国使節の歓迎の儀式がおこなわれた施設です。 生憎、この日は月曜日でお休み。 中へ入れなかったのですが、 平城遷都1300年祭の時に大極殿の中に入ったので、 他の人達ほどには残念に思いませんでした。 大極殿の方から朱雀門を見ると、 その前に阪神電車の架線が通っています。 平城京跡の敷地内にです(苦笑) 「こういう所は、奈良県人の大らかさだ。」と、 奈良県人の講師の先生が苦笑されていましたが、 ホントは、 近鉄電車の前身である大阪電気軌道が開通時(大正3年)には、 まだ史跡として保護されていなかったから。 平城京跡MAP ここには大極殿跡が2ヶ所あって、 もう一つは、740年に平城京から恭仁京に都が移り、 難波京、紫香楽京と転々とし745年に平城京に再び戻ってきた時、 元の場所とは別の場所に建てられました。 これら二つは第一次大極殿、第二次大極殿と区別されています。 復元されたのは第一次大極殿の方で、 第二次大極殿跡には基壇と、 建物の柱のあった場所にはツゲの木が植えられて、 円柱形に刈られています。 宮跡からは、東の方に若草山と三笠の山 西には生駒山が見えます。 次は東大寺へ行きましたが、 長くなるので、次回にさせて頂きます。 ***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。 みなさまのコメントを励みに、 ブログ更新を頑張っています(*^_^*) 「東北関東大震災」支援クリック募金 お帰り際に1クリックをお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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October 13, 2013 04:08:30 PM
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