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カテゴリ:日本史
前回の日本史の奈良時代のつづきです。 阪神間への修学旅行では必ずと言っていい位行く 東大寺へ行きました。 南 大 門(国宝建造物) 門の高さは基壇上25.4mもあり、 大仏殿にふさわしい日本国最大の山門です。 天平時代に創建時の門は、平安時代に大風で倒壊。 現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人が再建したものです。 大華厳寺とは『華厳宗の大本山』、すなわち東大寺のこと。 東大寺は、奈良時代に聖武天皇が仏教の考えと、 国を守るために建てた国立のお寺です。 阿 形 像(国宝) 南大門の「仁王像」は、日本最大の木彫像で、 像高は8.4mありますが、 阿吽の位置が、通例と逆になっています。 講師さんの話では、門の西の方に平城京があるので、 位の高い阿形像を左(西)の方に持ってきたとの説があるそうです。 ※東大寺の名の由来は「平城京の東方に位置している」という事。 吽 形 像(国宝) 今まで、吽形像は運慶作で、 阿形像は快慶作といわれていましたが、 近年の解体修理で、その説が覆されたのです。 吽形像は大仏師定覚、湛慶で、 阿形像は大仏師運慶、快慶がかかわったとのこと。 運慶は、二つの像の総括責任者だったとも推測されています。 南大門を入ると、目の前には中 門(重要文化財)。 その奥には、大仏殿の大屋根が重なるように見えます。 金 堂(大仏殿)(国宝) 創建時の三分の二の規模まで小さくなっていますが、 今なお世界最大の木造建造物です。 やっぱり修学旅行生の団体に会いましたよ^^ 大仏殿の屋根で金色に輝く「鴟尾」 上の参道の幅は、 これと同じ幅なんですよ。 弓なり状の屋根になっている 唐破風(からはふ) 江戸時代に付けられたもので、 徳川幕府が好んだということですが 当時の人々にも人気がありました。 よく見ると、彫刻が素晴らしいです♪ 大仏殿の前庭の回廊に構える国宝「金銅八角燈籠」 もう正面には大仏様が見えているので、 殆どの人たちはこの燈籠には目もくれずに大仏殿の中へ‥ でも、この「金銅八角燈籠」には、 素晴らしい4人の菩薩さまが居られるのです。 盧 舎 邦 仏 像(大仏)(国宝) 聖武天皇の発眼により創建された東大寺のご本尊さまは、 「華厳経」の教主である盧舎那仏で、 世界最大の金銅像です。 大仏さまに金メッキをする時に、水銀を使ったので、 水銀中毒の患者が沢山出ました。 多分それが原因で、 光明皇后が施薬院、悲田院を設けられたと思われます。 堂内北東の隅には、四天王のうちの多聞天像 北西の隅には、四天王のうちの広目天像が安置されています。 四天王のうち残りの2体(持国天、増長天)は未完成に終わり、 両像の頭部のみが大仏殿内に置かれています。 大仏さまの左右には、脇侍として木造の虚空蔵菩薩坐像と 如意輪観音坐像が安置されています。 大仏殿の中は、撮影OKだったので、 ブログに載せる事が出来ました(^^)v 賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう) 大仏殿入口の右側に安置されています。 通称「びんずるさん」と親しまれ、 体の悪いところをさすると治ると言われています。 お釈迦様の1番弟子で、十六羅漢のトップの 偉~い羅漢様ですが、このお顔はちょっと怖いかも… 大仏殿から中門を見た所。 参道には「金銅八角燈籠」が見られます。 左右の芝生は、とても綺麗に管理されていますが、 奈良で、芝生を刈るのはここだけ。 奈良公園など後の所は、 鹿が食べてくれるので世話要らずだとか。 鹿の親子連れがいました。 ピョコピョコとお母さんの後を付いて行っています。 この子で生後1週間くらいだそうです。 東大寺 法華堂(国宝) 一般には三月堂と言われています。 天平12年(740)から19年の創建と考えられていて、 東大寺最古の建物です。 堂内には、ご本尊の不空絹索観音像を中心に、 合計10体の仏像がありますが、 すべて奈良時代のもので国宝です。 残念ながら堂内は撮影禁止でしたが、 群像のかもし出す雰囲気は、 しばし厳かな仏の世界に浸っているかのようでした。 法華堂経庫 江戸初期まで、正倉院宝庫の西北方にあったのを、 現在の位置に移築した校倉。 現在の庫内には、 東大寺の僧侶になる住職試験の時の 大きな倫義台がほかんされています。 最後に南大門を出る時、 鹿さんがカメラ目線でお見送りしてくれました(*^。^*) いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。 みなさまのコメントを励みに、 ブログ更新を頑張っています(*^_^*) お帰り際に1クリックをお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 13, 2013 04:08:05 PM
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