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カテゴリ:日本史
少し前の事になりますが、 先月の21日に、日本史シリーズ・ツアーの4回目で、 奈良へ行って来ました。 その後、ずっと予定が入っていて、 それをコナしている内にダウン! 記録に残すのが遅くなりました。 時間が経ったので、講師の先生に教えて頂いたことは、 もう大分忘れてしまいましたけれど、 パンフレットを見ながら思い出してみますね。 最初の見学地は、藤原氏の氏神さまが祀られていた 春日大社でした。 駐車場を出て参道へ 最初にお参りしたのは祓戸神社 ここで身を清めてから参拝します。 表 参 道 春日大社の鹿は、神様のおつかいで、 国の天然記念物です。 南 門 かつて藤原氏以外の人たちの参入門とされていました。 現在は本宮の正門とされています。 高さ12メートルの楼門で、春日大社最大の門。 南門を入って、回廊へ・・・ 綺麗な釣燈籠がズラッと並んでいます。 本 殿 この奥に、よっつの神様が祀られています。 ●御祭神
本 殿(左側) 本殿には拝殿がなく、 右側にある建物・参拝所からお参りしますが、 残念ながら参拝所は修復中でした。 社頭の大杉 幹の周囲8.7m、高さ25m、樹齢約800年~1000年。 700年昔の『春日権現験記』には幼木の姿で描かれているそうです。 槙柏(伊吹ともいう) 上の大杉の根元から斜めに延びていて、 直会殿の屋根に穴をあけてまで木を生かしているのは、 特に樹木を大切にされる春日の神様の託宣(古社記)によるものです。 風宮(かぜのみや)神社 風を司る神様です。 西の風神というのは、 本殿を西風の害から守ると同時に、 外敵を吹き払う攘災神的な神様であると伝えられています。 藤浪之屋(ふじなみのや) この場所は北廻廊の東角にあたり、 かつては神職(禰宜)の詰め所でした。 参拝の人達が「万燈籠」の雰囲気を体験出来るように、 釣燈籠に灯をともして特別に公開しています。 燈籠がゆらめき、幽玄の世界をかもし出しています。 多賀(たが)神社 生命を司る延命長寿の霊験あらたかな神様です。 その昔、俊乗房重源という人が、 大仏殿を再建するときに寿命を頂いたという神様。 流石、沢山の人のお参りが絶えません。 直会殿(なおらいでん)※重要文化財 春日祭には、勅使・弁以下の直会の儀式が殿上で行なわれます。 砂ずりの藤のところから、 大杉のテッペンが見えますよ。 避雷針が付いています。 慶賀門(けいがもん)※重要文化財 西回廊にある三つの門の中で南側にある門。 他の二つの門と異なり天井板(格天井)が貼ってあります。 かって藤原氏だけが通るのを許された慶賀門(けいがもん)、 私たちも藤原一族になった気分で、その門から出ました。 参道の両側に、ちょっと面白い石塔がありました。 春日大社は、広い丘陵地に、 平城宮を見下ろすように建っています。 当時、藤原氏の勢力がいかに大きかったか想像できます。 興福寺へ 東金堂(とうこんどう)と五重塔※いずれも国宝 藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、 藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇っていました。 興福寺 国宝館へ 阿修羅像に会いに行って来ました。 ※館内は撮影禁止なので、 画像は、絵葉書を買ってきてスキャンしました。 古代インド神話の阿修羅王は、 帝釈天を向こうに廻して、荒々しい合戦を繰り返す悪神。 ところが、興福寺の阿修羅像は、 天界を暴れ廻る鬼神のイメージはありません。 やや眉根を寄せた悲しげにも見える表情の奥に、 何か激しいものが秘められているように思えます。 この神秘な表情は、 荒々しい心が仏の教化によって迷いから目ざめ、 愁眉を開きつつある顔付きだといわれています。 この後、鑑真和上の唐招提寺に行きましたが、 その事は次回に… ***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。 みなさまのコメントを励みに、 ブログ更新を頑張っています(*^_^*) お帰り際に1クリックをお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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October 13, 2013 04:07:14 PM
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