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カテゴリ:国内旅行
夫が属しているボランティアグループのバス旅行で、 砥峰高原へ行く計画があるとの事。 以前から1度行って見たかった砥峰高原です。 私も便乗をお願いしていました。 所が、バスツアーの催行日は、運の悪い事に、 27号と28号のダブル台風が、 日本列島に近づいてきている23日(水)。 秋雨前線が台風に刺激され、 当日は、朝から雨が降っていました(涙) 最初の見学先は、生野銀山でした。 ここは、昭和48年に閉山。 現在は、当時の模様を再現した観光施設として、 一般公開されています。 観光用に設置された「生野代官所」の門 ここから入っていくと… 手入れの行き届いた庭園の左側に、 鉱山資料館があります。 807年に開坑し、 信長・秀吉・徳川幕府の時代を経て 明治元年には政府直轄となり、 その後は皇室財産にまでなった大鉱山・生野銀山。 その栄光の歴史を、パネル展示などにより紹介しています。 観音岩 坑道入り口前に、観音さまの横顔に似た岩があります。 長い年月を経て、自然に出来たものだそうです。 鉱山師 ジャン・フランソワ・コアニエ 明治元年に来日し、帰国する明治10年まで、 明治政府お抱え鉱山師として、 日本有数の近代鉱山としての発展の基礎を築いた人物。 観光用抗道出口 徳川時代の抗口を模して造られたもので、 四ッ留という化粧木は、 神前の鳥居を表しています。 当時の人達が、 如何に命がけで作業していたかが想像できます。 金香瀬坑 この石作りの抗口はジャン・フランソワ・コアニエが 築造したフランス様式の抗口。 ここから入って見学。 坑内の気温は、年間を通じて13℃。 上着がないと、少し寒い! 狸堀 江戸時代の坑道は、 坑内作業者ひとりがやっと通れるほどのもので、 岩肌にはノミの跡が今も重々しく残っております。 この穴を這いながら掘り進んでいきました。 座っていても、頭が天井に着くくらいの狭い所での作業 唐蓑で風を送る手子 この人は、毎日毎日、一日中空気を送っていました。 女性も働いていたんですよ。 坑内は、とても蒸し暑くて、 岩を掘る粉じんがいっぱいの劣悪な環境。 当時の人達の苦労が偲ばれます。 近代の抗内 採掘作業をしています。 人 車 坑内で働く人たちの、 入退抗につかっていました。 エレベーター 一番深い所までは、800m以上ありました。 この囲いのないエレベータで上下移動します。 ガイドさんの話では、 抗夫さんの平均寿命は40歳代。 どんなにか過酷な作業だったのかが思い計られます。 敷地内のレストハウスで昼食。 ハヤシライスが有名だとの事だったので、 夫が海老フライ&ハヤシライスで、 私は、ハヤシ・オムライスにしました。 久しぶりのハヤシライスは、 坑内を歩いた後だったので、美味しかったです。 おかきの播磨屋総本店へ 創業の家 生野総本店 白いムラサキシキブが素敵♪ 茅葺きの母屋をレストラン専用に改修 お買い物の後、ここでコーヒのサービスを受けました。 向かい側では、水車が動いています。 中を覗いてみると… なんと、お米をついていたんです^^ このお庭を眺めながら、 コーヒーを頂きました。 そして、砥峰高原へ・・・ 日の光で銀色に輝くススキの穂の群生が見たくて、 2日に奈良の「山の辺」のみちを歩いて以来、 ず~っと島外に出ないで、体調を整えていたのですが、 生憎の雨… 平清盛やノルウェイの森のロケ地として有名な所。 ハイキングコースがいろいろあるので、 次回は、お天気の良い日にリベンジです。 そう言えば、 以前曽爾高原のススキを見に行った時も雨… 私は、ススキには縁がないのかも知れません(涙) いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。 みなさまのコメントを励みに、 ブログ更新を頑張っています(*^_^*) お帰り際に1クリックをお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 26, 2013 10:30:23 PM
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