先日の日記にも書いたのですが、私は、最近になってようやくかなちゃんに「ありがとう
」と言えるようになりました
今までは、ずっと「ゴメンネ」しか言えなかったんです
もちろん、今でも自分のせいだと思い、ゴメンネとも言いますが、「ありがとう」と思う回数が増えました
自分でも、先日のりなちゃんの誕生日を境に、かなちゃんをいつでも近くに感じられるようになったのです
ちゃんと近くにいて見てくれてる、守ってくれてる、助けてくれてるって思えるようになりました
りなちゃんの誕生日が全て自分の思い通りに出来た事が良かったのかもしれません
かなちゃんも喜んでくれたと思うし、泣いているママより笑っているママが好きって言っているだろうなって思います
かなちゃんがいなくなって、心に空いた穴がふさがる事はこれから先も一生ないでしょう。でも、かなちゃんを想い続けて生きていこうと思います
実家にいた時、りなちゃんが言う事を聞かなかった時、怒った時がありました
死産後、自分の感情のコントロールが出来なくなっていて少しの事を大げさに当たってしまっていたのかもしれません。それを見ていた私の母は、私に「そんなに怒るから、そんなママは嫌だと思ってかなちゃんは産まれてこなかったんだ!」と言いました
母は多分、必要以上に怒られているりなちゃんが可哀想になったのでしょう
でも、私はその言葉を聴いた瞬間、半狂乱になって叫び、そこらじゅうにあった物を母に向かって投げつけ、パパに止められました
そして、パパが母を怒ってくれました
今となっては、近くに包丁などなくて良かったと思いますが、その時の私はパニックでした
りなちゃんはビックリして泣き出し、その場にいたおばあちゃんも母を怒り、おばあちゃんは、涙を流しながら、私の気持ちが分かるよと言い、その言葉で私は少し落ち着きました
おばあちゃんも昔、流産経験があり、そしておばあちゃんの姉は生後15日頃赤ちゃんを亡くしています
死産後に私を心配しておばあちゃんの姉がお見舞いに来てくれた時、おばあちゃんとおばあちゃんの姉と話しました。自分達の時代は戦争もあり、今のように食べる物もなかったし、医療も発達していなかったから、かなちゃんとは比べられないのかもしれないけれど、おばあちゃんもおばあちゃんの姉も流産や新生児死から60年経つけれど、一度も赤ちゃんの事を忘れた事はないよって言っていました
2人は週数は違ったけれど、同じ時期に赤ちゃんを亡くして、2人で支えあったそうです
だから、私の身が削られるような痛みも辛さも全て分かる、だから余計な事は何も言わず、そっと見守っているよと言いました
そして、自分達はもうすぐあの子達にやっと会えるから死ぬのは怖くない、別の世界で一緒に暮らしていける事が楽しみだと話してくれました
私は涙が止まらずに、聞いていました
この時、おばあちゃん達と天使ちゃんの話が出来た事は私にとって良かったのでしょう
きっと私もおばあちゃん達と同じ様に思って生きていくんだろうなって思います