|
カテゴリ:心
ええっとミクシーにも書いたけれどついでにこっちにも
こういう難しい題で日記を書くとき、私のタバコの量は増える。 まさにニコチン中毒。 この話題の前に昨日久しぶりに旦那が少し怒った。 毎週楽しみにしているラストフレンズを観ている時に仕事から帰ってきてしまったので(良いところで~早いんだよ!)とイラついた私に (俺は仕事して帰ってきているんだ!そういう事を言うな)と言われた。確かに反論の余地はなく、今度からはビデオに撮ってあとは旦那が寝てから観ようと思ったのだ。 さてさて自己分析・・・というほど大げさな物ではないが 私、ボーダー、=精神科の仕事というような図式になっていたが 最近はそうでもない。入院していたボーダーちゃん達。 自覚のないボーダーもちろん通院もしていない。 2通りある事を最近とても感じている。 まだ私が20代で大学病院で働いていた現役バリバリの頃 大学には多くのボーダーがゴロゴロしていた。 入院してくる患者さんの中で医師をもっとも手こずらせるのがその ボーダー(境界線人格障害)だった。 私がまだ新人の頃はボーダーには相手にもされなかった。 彼女達はオール Or ナッシングの考え方でつまりOか100かでの判断しか出来ない。この人は自分を脅かす人間か?味方になってくれる人間か、ある意味天才的な勘で判断する。 統合失調症やうつ病の患者さんへの対応は簡単だった。 マニュアルに沿って、それ+それぞれの個性を考えながら看護するだけだから容易かった。欺瞞ではなく私は向上したかった。 精神科のエキスパートになりたかった。 だからボーダーの本は必死に読んだし、ボーダーを扱う事が上手い医師に色々質問したり、一緒に患者さんを受け持った。 どの患者さんにも言える事だが基本は信頼関係を築く事。 ボーダーの患者さんも同じで、しかし彼らの壁は厚く中々信頼関係を築くのが難しい。なぜなら今まで誰も信頼していなかったから。。 でも助けを求めて入院してきているボーダーに対し真摯に接すれば 相手は少しずつ心を開いてくる。信頼関係が出来ると看護は容易かった。時に私を試すような事もしたが、基本的に彼女達は素直だった。 だから私はボーダーが嫌いではなかった。 大学病院というしっかりとした組織の中、信頼のおける医師、カウンセラー。定期的におこなうカンファレンス。 今でもここで勉強した事は私の大きな糧となっている。 そして安心して好きな看護が出来たのも今思うと大学だけであった。 基礎を応用したいと個人病院にいくつかいったが、個人病院は基本的に経営が重視される。いかにベット回数をあげるか、基本はお金である。 だから悠長に時間をかけてなんて事は出来ない。理想はそうでもあっても訴えてもそれは一ナースが戯言を言ってるとしか聞こえない。 とにかく今日のノルマを果たせば良い。ナースもそんな考えでどの精神疾患や看護理論や計画に対して無知同様であることに驚いた。 その中でも若い子達は私の考えについていこうとしてくれていた。 しかし知らないのだ。患者さんにどう接して良いかを。 どう努力してもちょっと違うんじゃないかな~という若者に対し 時間をかけながら教えていったが、中には若いヘルパーさんなのに この子患者さんになんの偏見もなく接している。上手いな~と 思った子がいた。今では立派な正看護婦になり精神科で働いている。 様はセンスなのではないかな~とも思った。 例えば絵のセンス、音楽のセンス、物書きのセンス、色々あるけれど それと同じで、患者さんに対しての接し方、観察力。これも一種のセンスだと思う。 私も病気をし、周囲の助けや自分の力で這い上がり、職場に復帰しながらあるメーリングリストに入った。そこには自覚のないボーダーが何人かいた。私は自分の今までの知識や、自分が病気から這い上がった事を元に彼らを助けたいと思った。しかしそれは私の思い上がりで 自覚がなければ対処のしようもない。彼らは巧みに私を持ち上げ、落とした。家事も仕事もしながらのメーリングリスト。持ち上げられても 何をされても、あまり怒りがなかったのは少なくともこの時、私の中でどうにか力になりたいという気持ちが強かったのだろう。 ある日、ある人に○○さんはいつも人の悩みを聞いてあげているけれど自分の悩みはどうしてるの?と心配された。 少しドキっとした。私だって悩みがないわけではなかった。 その人には旦那に話していると言ったが、あの時は自分で解決していた。自分で出来ない時は漢方の先生の所に行き、世間話しをするだけで 大きな力になっていた。漢方の先生は君は少しくらい落ちてたほうが良いかもね。時々突っ走って鎮静剤あげたくなるから。と大笑いをしていた。メーリングリストは閉鎖されたが、何人かの人達とは今でも交流している。結局自分で気づくしかないのだろう。 気づいて認めるしかないのだろう。 私は湘南で海という自然を知ってから悩む事が馬鹿馬鹿しくなってしまった。ボーダーに対しても強い思い入れもなくなってしまった。 馬鹿馬鹿しいというと語弊があるが、海という癒し、そして自然の恐さを知ってから、色々な自分の悩みもちっぽけに思え、湘南でも相変わらず自覚のないボーダーと何人か出会ったし、たまにメールの交換をしていたが、本当に冷たいようだけれど、私では治せないとはっきり自覚してしまったのだ。滅茶苦茶操作されたよ。全部知ってたよ。 理不尽な相手の態度には腹がたったが、忠告だけした。おそらく私の気持ちは届かないだろうな~と分かって・・。 私には海仲間がいる。パチ仲間がいる。極々普通の人達と接するのは本当に久しぶりの事だった。精神科看護というものに囚われていた私には とても新鮮で健康的だった。 今は広島にいるが、ここで大きな変化があったのは私が心から頼りにし何でも話せるのは旦那になったと言える事だ。 そして波乗りスポットも見つけた。(近ければいいんだけれど・・) 悩んでいる人も何か見つけられると思う。自分がその気になればなんだって出来る。夏に向け仕事も休職中だが、おそらく考えてまた復帰するだろう。何だかんだ言って私は精神科看護が好きだから。 今は違う分野で役にたちたいと思っているから。 それに波乗りに行くのにガソリン代も入れたら1回1万はかかる。 それくらい稼がないとね♪ ボーダーの定義は奥深いからまた今度。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月31日 01時16分33秒
[心] カテゴリの最新記事
|
|