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テーマ:還暦離婚目指して(41)
カテゴリ:フィギュアスケート
フィギュアグランプリNHK杯見ながら1984年を思い出してました。
羽生結弦選手 無念のSP5位でした。 ショートは規定ができてないと点数がのびません。 ジャンプで失敗、コンビネーションができなかったのが痛いです。 --練習量は 「練習できないといいわけを作りやすかった。すごく反省している」 --演技時の心境は 「アナウンサーの声が聞こえてきた。集中力が切れていた」 --大会へ向けて 焦りはなかった。初めて滑ったときは、どうしようもなく痛くて、NHK杯には出られないと両親に話した。 ハンデとは感じていない。痛みもないし自分の実力。 課題がみつかったうれしさがある。失敗して悔しいじゃなく、あすに向けて言い時間だった」 前向きですね。フリーでは今できる力を出し切ってほしいです。 さて新婚の1年が過ぎて行きました。 夫家の姓に変えても 念願のオリジナルの仕事も出来るようになり ひとり暮らしをしてた私は いろいろ問題があっても、家賃・光熱費・食費が保証された生活は ありがたいと思いました。(これがずるい・甘い私でした) この頃貯金がかなりできて、その後バブルがはじけ収入がなかった時 大いに助かることになりました。 大正生まれの夫の両親、その影響をもろ受け継いだ夫には 時代錯誤を感じるところがありました。 お正月に観察した義兄義姉夫婦たちは 今を生きてる感じです。 仲良しで子煩悩・子供たちも朗らかでのびのび! 生活は豊かなように 見えました。 義姉の一人は当時専業主婦で子供(姪)は私立小学校でしたし・・・ 「生活費2万しかもらってない」とか「大酒のみで困る」とか言えませんでした。 言われたことは「子供ができたら変わる、落ち着く」でしたが 私は夫の子供が欲しいとは思いませんでした。 妊娠出産=仕事が出来なくなる・生活困る。離婚しにくくなる・・・でした 2月に冬季オリンピックが当時ユーゴスラビア国のサラエボでありました。 アメリカ・ソ連冷戦中・夏のモスクワオリンピックをボイコットするほど険悪状態。 日本も出られませんでした。 その中で共産国で初めて冬季オリンピックが開かれ、かなりの話題になりました。 美しい景色は欧州・中東・東欧が混じった感じ 近代的な競技場が目に焼き付きました。 ここが後の紛争で廃墟となるのです・・・ そして そのころフィギュアスケート男子で 世界選手権4連覇のスコット・ハミルトンに 私は キュンとなってました。小柄で華奢ですがスピンとステップが素敵でした。 難病を抱えての人生にもキュンでした。 でもSPとFPは2位でした。トリプル・アクセルが飛べなかったから・・・ でも結果はハミルトンが金メダル 銀メダルは ミスター・トリプルのあだ名がついたブライアン・オーサー選手でした。 そのころまだ規定という種目があってオーサーは それが良くなかったのです。 ハミルトンは金メダルを取って引退 オーサーは4年後のオリンピックに出場しました。 5位発進のゆづ君をオーサーコーチは しきりに慰めてました。 追い込まれると強いゆづ君なので 良い結果が出ることを祈ってます。 オーサーさんの本をちょっと立ち読み ゆづ君の前コーチに感謝を込めていること。 そしてスケートやめたいと泣いていた少女を笑顔にして金メダルをとらせたのはほんとに凄いです。 オーサーコーチ、そしてチームメンバーが凄い! シングルの選手でも周りに多くのサポーターがいることを再確認しました。 人は一人では生きていけないのです。 ひとり暮らしで実感済みなのに・・・・!! 結婚したら和やかな家庭を作りたいと人一倍思ってたはずなのに・・・・!! 夫と協調することが最後まで、できませんでした。 にほんブログ村 にほんブログ村 恋愛・結婚(離婚) ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.01.06 16:29:30
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