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テーマ:離婚後の生活(775)
カテゴリ:価値観の相違
実家に戻って 母 弟 次女 私の4人暮し
夕食を4人で食べる時は 幸せを感じます。 煩わしいことも あるが 4人で生活費を出し合うのがいい。 基本真面目なので安心です。 元夫との生活は 不安だらけでした。 高卒で貧乏な家の娘なら 自分の思い通りになると 思ってたのだろうか。 月2万の生活費で 満足して 8時間、家事をして 夫が帰宅したら尽くす。 夫の両親や義兄姉の気に入る末嫁になる。 私は 我儘女王様、仕切り屋の母の元で育った。 両親とも末っ子同士の結婚で すでに双方の両親は他界 寂しいだろうが、舅姑小姑は、いない気ままな核家族でした。 わたしは 男女平等の教育を受け 理想の職場に就職。 現代でも 平等で実力主義の会社は少ないだろう・・・ だから結婚もそれなりに男女平等だと思っていた。 専業主婦と言われてたが 母が内職してた様に家事や育児に 支障をきたさない程度に働く気でいたし・・・ 基本相手が嫌がることは 強引にしないだろうと思っていた。 父は酒やたばこは嗜まず真面目で品が良かった・・・ それが私には 普通だったが・・・ 実は そういう男性は当時は稀だと気づかされた その辺から認識にずれが あった。 お見合いなのに 結婚する気のない喘息の持病のある娘を選ぶはずもないし、 三男で金持ちでスポーツマン・・・裏が無ければとっくに結婚してる。 生活費少なくて 共働きになった時から、 元夫の妻を支配する目的は、ほころび始める。 元夫は 北風で思い通りにしようとしたが 間違ってる 太陽のような暖かさで 外套を脱がせるべきだった・・・ お金も出さない、身体を労わる優しさもなく、支配するのは難しい。 元夫のいないところで趣味を楽しみ、娘たちの育児に専念した。 この結婚で得たことは お金が無いなら無いなりに・・・ 世間は表裏のある人が多い・・・わたしは幸せに育ったが 両親も私達も 自分の世界が中心で世間知らずで 未熟だったことです。 「俺は変わらない お前は変われ」ということで 逞しくなりました。 それは ますます夫の理想から離れることでしたが・・・・ 元夫は 念願の実家に住めることになったが 結局離婚。 親族 兄弟出入りするけど食事はバラバラだった、元夫の実家。 正月だけは 揃ったけど・・・もう、ご両親は居ない 妻より 位牌のある仏壇を選んだ元夫です。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 恋愛・結婚(離婚) ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.10.01 06:52:15
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