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テーマ:離婚後の生活(775)
カテゴリ:結婚
40年以上前 社会人になった私は母には利用しにくい人物になっていたと思う。
もう親を必要としなくても生きていける状態になっていたし、 早期退職した父は、再就職していたが、給料は下げ止まりの状態。 私の方は5年で2倍以上の状態になり父を超えていた。 父は2階の女子大生の生活音でノイローゼ状態、 アパート経営を率先した母の矛先は、なぜか私・・・ 「父親より稼ぎの良い、あなたは家を出なさい」と言われました。 私も家の固定電話は女子大生に占領され、 仕事の依頼が重なるとひやひや・・・実家はいろいろ居心地悪くなってました。 (理由は多少違いますが、どんどん居心地悪くなるのは今と同じ) 一人暮らしは、仕事が忙しくて 実家に帰ることもありませんでした。生活するには収入をということで 仕事に没頭、恋人とも別れました。一人で生きていくことも考え始めていました。 自分のペースで生活できたので喘息の発作も起きませんでしたが 仕事のことで頭がいっぱいの自分がいて、孤独だし不安な時がありました。 そんな時母が縁談を持ってきました。 私は売れ残りのXmasu ケーキと言われる26になってました。 それに母にほだされる弱みがありました。 「喘息の持病のあるあなたが一人で生きていけるの?」 母は母で、アパート収入は、あきらめ、また退屈状態、 近所は、子供の結婚、孫話・・・母の欲望の矛先は私・・・ 追い出したのに 寂しくなったのか?母はその場の感情のまま・・・ 仕事や趣味では宇宙人の私を、結婚、妻など母の分かりやすい 世界に呼び戻したいと思ってたようです。 仲人はガラスを破って家に侵入した従姉だったので、 即断りましたが・・・ 母「いい縁談なので 実際に会ってから判断したら?」 会って合わないと思ったので断りました。 この段階で もう縁談は断ったものと思ってた私が甘かったです。 お見合いは当の本人たちじゃない、当時は家と家…親と親・・・ ほんとに世間知らずでバカな私でした。 今思うと母が縁談を持ってきた時点で母の気持ちは私を無視して決まりだったのです。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 恋愛・結婚(離婚) ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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