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テーマ:離婚後の生活(775)
カテゴリ:母との生活
幼少からの母の呪縛が、いつの間にか身についていて、
普通の感覚を無くしていたかも・・・・ 35年ぶりの同居・・・忖度で、母が細かく説明しなくても、 母の望む方向に動いてしまっていた。 それで元夫にも、同じことをしていたと思う。 自分は我慢しても、相手が満足する方向・・・そうやって 本当ならもっと早く破綻してた関係が続いていたと思う。 根底には、母や元夫に愛されたいと思っていたから・・・ 妹が月に5回から3回は 自家用車で実家に来てくれて 病院に行ったり、食事に行ったり行楽地に行ったりしてるが・・・ 母は決まって、「当てにならない・・・頼りにならない」と言っている。 私から見たら十分、妹は母に尽くしてると思うし、仕事の休みを 母のために提供するのは、偉いなあと思っている。 母は時間の尊さが分かっていない。 時間を共有することは人生を共有すること・・・妹ぐらいでは母は満足しない! 母が満足していた状態・・・ 糖尿病などを隠して、わがまま放題、家事から解放されたいと言って、3度の食事に 6回のおやつ、週に一度の家事ヘルパーも2000円かかるようになり、私がすることに・・・ そのうち私がすれば家事もタダ、介護もタダ…弟の嫁さんの代わりまでついてきて・・ 嫁さんの代わりだから・・遺産も無し・・・母は満足そうに長女は頼りになると言った。 それをエンディンノートに書こうとしたので、母の本音だとやっとわかって 私は切れたし、糖尿病もわかって、(うすうすわかっていたが) 治療のため自分のことは自分でするように言った。 母が「食事・運動指導、お願い」と言ったので、実行したが母子の間は最悪に・・・ 私には「辛抱しなさい我慢しなさい」だが、母はお菓子を減らすのも大変!!! 少し改善して状態がいいと、苦しい状態から解放されたくて、 もう我慢ができないと騒ぎ立てるか被害者で可哀そうな母親になって同情を引こうとする・・・ 次女は、早くから「実家を離れよう」と言っていたし、妹は「食事を別にして 会うのは一時間以内にしたら」と言っていた。 母は頑固で変わらないので私が大変だということを 次女や妹の方が分かっていたのだ。 「引っ越すからクリスマスも正月も最後だよ・・家族で食べたかったら お母さんの方から言わないと・・・」 「特別だからと糖尿病に悪いものを暴飲暴食しないでね」 母「大丈夫、甘いもの塩気油もの、我慢できるように、なったから・・・」 (できもしないこと言わなければいいのに…) 私が一日いなかった23日に、母は、から揚げ、甘辛もも鶏、イチゴ(高い) お正月用の佃煮、かまぼこなど・・・ケーキ2個をすでに買って食べていた。 隠してたようだけど母は詰めが甘いし、ほんとに我慢できない人だ・・・ 糖尿病を改善したい、でも好きなものを好きなだけ食べたい・・・我慢したくない 欲望のまま生活習慣変えたくない…わかってるけど・・・ 我慢しないと糖尿病、合併症悪くなるばかりだよ。 もう・・・イブもクリスマスも食事は別々でした。 24日朝のうちに私はシチューをいっぱい作り、 プチケーキを4つ買ったので弟も4人でささやかにクリスマスと思ったけどね。 母は、私に悪いことしたと言ったけど…みんなでケーキを食べられなくなって 嘆いてるだけ・・・私だけが困ることは…なんとも思わない人だから・・・ ケーキは次女と食べちゃったわ~ もう正月も別々ね・・・まあ母は弟(息子)と二人で食べられればいいのだから・・・ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 恋愛・結婚(離婚) ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.12.27 17:28:56
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