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テーマ:離婚後の生活(775)
カテゴリ:マザコン
実家の母との生活がさらに嫌になったのは弟が来てからだ。
離婚まじかの時、救急病院から電話があって、弟が救急車で運ばれ緊急手術 あと3時間ほど遅かったら動脈破裂で命が危なかったようです。 まあその後凄い回復力で退院にはなりましたが・・・ 予後無理はできないということで、一人暮らしはやめて実家に戻ってきました。 私が実家に戻ってきて初めての2月ごろ母のごまかし続けた糖尿病が判明し、 その後食事運動療法で修羅場の毎日、そして2年目の2月に弟が実家に戻ってきたことで 私と次女は3年目の4月の終わりに実家を出ることになりました。 私が日ごろから一番いらだちを覚えたのは、弟にやたら甘くて依怙贔屓が激しいこと 小学3年生の時に弟が生まれて、おむつの替えから洗濯などの子守、お使いや料理の手伝い マキのお風呂沸かしなど、ありとあらゆるお手伝いをさせられました。 弟や妹はほとんど手伝いはしていません。 お手伝いが負担だと喘息の発作が起きました。 母は弟からエンディングノートに終活をどうしたいか書き込むように 前々から言われてて やっと書き込もうとしたら 長男には家と土地を譲り家事介護はしなくていい 次女は、楽しいことだけお願いで200万現金 「私は?」で母「弟に住まわせてもらいなさい」 「長男の世話長男、私の代わりにお願いね」 「長男の嫁の代わりお願いね」 「だから長女がすれば家事介護ただ・・・」 母の心配事が、私が全部やれば済んでしまうということで その考えから 今でも抜け出すことができないでいる。 母の目の前で喘息発作が起きて、母びっくり、おろおろ・・・ 弟がいることで糖尿病食が乱れる、欲望のままに食べたくなるで・・ 心も生活も乱れてきた。 私がたびたび、いさめることで母は我慢できなくなって、死にたくなると言い出した。 その後、ヒステリックに「あんたは喘息もちであてにならない、 十分糖尿病改善したし、実家から出てって!!」になった。 母は長男との二人だけの気ままな生活を望んでいるのだろう。 私は国民年金がもらえるまで実家にお世話になりたかったが、 これは母と離れるいいチャンスでもあるわけで・・・ 私の長女の育児休暇明けとも重ねて、気持ち実家から出やすくなった。 弟を選らんで追い出されるのは正直辛い・・・ 母は全部私に任せようと思っていた介護要員を失なったことに戸惑っているが・・・ 全部思い通りにはいかない ・・・それでも弟は何もしなくていいと言う・・・ 次女(妹)にお願いしたいと言い出した・・・・・・ 以前母の 姉妹弟差別で 私が全面的に家事介護をしても遺産無しというなら、 親子の縁を切って 次に会うのは葬式と言ったことがあるが・・・ その時妹が、一人っ子になったつもりでパート辞めて母の面倒を看ると言ったのを 母は思いだしたのだろう。 その時は妹に楽しいことだけでいいと言ってたが・・・ 差別当たり前の母も 私の代わりを探さないといけないと真剣に思ったようだ。 男尊女卑も妹弟差別もしすぎると争いの元だよ。 私はなるだけ公平、えこひいき無しがいいとずっとずっと思っていたし、 小学3年生の頃から訴えていたよ。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 恋愛・結婚(離婚) ブログランキングへ・
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最終更新日
2018.03.13 06:05:00
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