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カテゴリ:家族
母の納骨を済ませ、お墓の中で父と一緒になりました。 49日には、早いのですが誰もいない事が多い実家に 置いておくのも、可愛そうで・・・早めに済ませました。 今は、法律に沿っていれば問題は、ないようです。 母は 一応クリスチャンということで、お坊さんを呼ぶこと無く、参列も姉妹弟3人だけでしたので、お気楽でした。 葬式のときと同じく、お花だけは ふんだんに・・・ 納骨が午後1時からでしたのでその後、遅いランチを和食レストランで・・・ 母のお気に入りの和食チェーンでした。 母はセットメニュー 麺・お寿司・天ぷらなど、ぺろりと食べてました。 甘いあんみつなどデザートも食べてたし、老人向けなら二人分の量かも・・・ それが特養で だんだん少食になり眠るように亡くなったようです。 親族は誰も間に合いませんでした。 弟から電話があった時、「いよいよ実家では生活できなくなった。 今後どうしよう」だと思ってたのが、 「亡くなった」ということで正直びっくりでした。 わたしは「困ったら電話して」と言ってたのですが コロナ禍だったし、わたしを千葉から呼び出すほど、困ったことがなかったようで・・・ 認知症が進んでたはずなのに 普通に生活できてた。 ヘルパーさんに補助を頼みながら、洗濯掃除炊事、庭の手入れができてた。 88歳で倒れる直前まで家計簿をちゃんとつけてた。 そろばん計算間違いなし、近所の人を呼んで得意の編み物、縫い物をしていた。 ずーっとしてた家事、手芸、手が覚えてることは 忘れないようです。 母は若い頃から思い込みが激しく、うっかり物忘れもあり、頑固だったので、 それは、認知症の特徴でもあるのですが・・・母の性格や、歳によるものと思ってました。 2020年12月に倒れて、入院でその間に介護認定も認知症も特養に入れるぐらい進み、特養に入る時は歩けなくて車椅子、弟(長男)の事もわからなくなってて、弟は大ショックでした。 妹は、人に迷惑のない認知症で良かったと言ってました。 母は外面がすごく良いし、身の回りのことを全部してもらえるのは、お嬢様気分でわるくなかったのかも・・・・ 人気の特養に入れても、問題のある人は追い出されるし、身体面でも、薬で対処できない疾病だと病院送りだそうで・・・ 母は模範で絶妙な状態だったので 看取ってもらえ・・・ 私は、何もせずにすみました。90歳老衰でした。 姉妹弟公平に介護が私の望みでした・・・ 出戻り娘はただで使えが母の考えだし、それで遺書を書こうとした時は 絶望だったし、止めてもらいました。 「辛抱しなさい、我慢しなさい」「人は人、自分は自分」「終わりよければすべてよし」が母の口癖でした・・・ だれも身体介護せずに済んだのでした。 生前いろいろ、確執があり、おさがわせな母でしたが 最後は私、子供孝行だと思いました。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 自分らしさランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.07.15 14:42:28
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