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カテゴリ:価値観の押しつけ
沼がある場所 統一教会も保育園も養護介護施設も 信者、その子供を献金させたり、教会存続の道具 としかみていない。 保育園も施設も子供や入居者を大事な命を預かっているという意識が足りない。 結婚においても、妻や嫁を人権を無視して、 ただでやれる飯炊き女中の扱いから抜けてないことも、日本では親殺しは大罪だが、子殺しは軽い。 あさイチで毒親特集で 他のブログの再載 「毒親」という言葉が知られるようになって10年。 親と絶縁したり距離を取ったりした「その後」を取材。 親を捨てた罪悪感を持つ人もいたり、介護すべきか悩む人もいたり。 それぞれの決断を見ながら親子の形や距離感を探る。 TVでの実例は、友人関係や服装、趣味、進路、結婚まで支配する過干渉が多かったが・・・私も結婚においては、断ったのに母の大好きな姪の持ってきた縁談を母が気に入り男性側OKということで、私のいないところで結納の日が決定していた。 いとこ夫婦マルチ結婚商法にまんまと餌食になったのだが・・・ 母は 私が逆らうと思いどおりにしようと強行手段に出るのが常だった。 長女だから家事を手伝って 下の子の面倒見て 9歳違いの弟が生まれた時は、おむつ取替洗いに子守リ、家事手伝いでヤングケアラーだったと思う。 妹は、弟の面倒 家事手伝いはなかった。 とにかく 妹弟との依怙贔屓を感じてましたが 「あんたは喘息で手間ががかったお金がかかった」とよく言われました。 縁談を強く勧められたときも「持病のあるあんたが一生一人で行きていけるの」と言われた。 縁談は玉の輿の内容で私のことを思ってると勘違いしたし、母に喜んでもらい自分を認めて欲しい気持ちもありましたが、問題のある従姉と同じく結婚相手は放蕩息子でした。 母は配偶者が真面目すぎて窮屈なので モラルの欠けるちょい悪に惹かれます。 持病があるのに肝心の保険証なくて 喘息のとき10割払い。 生活費も まともにもらえず縁談で専業主婦のハズが共働きだし家も建てる予定なしの義母と決めた2Kで私の一人暮らしと変わらない広さでした。 母に窮状を訴えると 「私も医者にかかれず、富山の薬で治した」自分の新婚の頃と比べます。 お嬢様だった母の花嫁修業は お茶お花お琴で、 お手伝いさんのいる生活が当たり前だったが 東京に住んでた夫になる人は 大学英語教師の叔母の母屋の離れで水も本家から運ばなくてはいけなかった。 絶望の結婚生活でストレス、私をお手伝いさんの代わりにしたかったようだ。 私は反対したが、女子大生向けの間貸しを始めた時、 共同の台所トイレの掃除を当たり前のようにただで頼まれが アニメ会社に就職バイトも忙しくて、拒否したら再就職の父より収入が多いのが母は気に入らず「でてけ」と言われた。 私がいなくなってまもなく 時代遅れの間貸し廃業で 退屈の母は私の縁談で、うさを晴らしたいと思っていた。 縁談話とあまりにも違い、辛いだけの生活。 夫だけは独身貴族で1日一升飲む酒豪でモラルなく 徹底した男尊女卑で妻娘が高みを目指したり良い思いをするのが許せない人だった。 離婚したかったが妹が先に離婚で世間体が大事の両親、 冠婚葬祭が立派なので親には実情が理解できなかったと思う。自営家族は立派でも 結婚相手はそうじゃなかった・・・ 保証人がいないと家も借りれない。 大手の仕事をしてた独身の時のほうがよほど信用があったが、旧姓での仕事は嫁として有るまじきで悪妻のレッテルを貼られ泣く泣く辞めた。家でできる高収入だったのに 夫には遊びのように見えて、労働は汗水流すものと持論した。私を自分好みに支配したかったようだ。 元夫は自分本位で母に性分がそっくりだった。 我慢しなさい!辛抱しなさい!終わりよければすべて良し。」 母に都合の良い魔法の言葉・・・ 許された時は、ただで使える介護要員が必要、未婚の長男の面倒をみてほしい時だった・・・次女と実家での生活は 我がまま女王様の母に翻弄され婚姻生活より厳しいものだった。 母は私が母や弟より孫の次女を大切に思ってることに嫉妬して、孫の次女を完全無視で次女は全身帯状疱疹になり、私も24時間 携帯電話で家の中でも呼び出されノイローゼ状態。 エンディングノートに母「家土地は長男、預金株は次女」 「長女は出戻りなので遺産なし」 「でも看取ったら実家を出てほしい、ここは長男の家だから・・・」 「・・・お母さん、私の幸せを考えことある?」 怪訝そうな顔の母・・・・しばらくして「考えたことない」 「お前は 私のいうことをきく、素直で良い子だとずっと思ってたから・・・」 誉めてるようで人権無視だよ・・・絶望!! 日本でいう親孝行っていうのは規律として存在していて、「親の言うことを聞くこと」「思い通りになること」という意味で使われていると思います。 私は 実家を離れました。結婚前の貯金が信用となり 保証人なしでUR団地を借りることができた 何かあったら電話してと妹弟に伝えました。 自分から母を気遣う、忖度はやめました。 弟からの電話は、母死亡、葬式の段取りでした。 その間3~4年あまり、コロナ禍のせいにして私は、実家に帰りませんでした。やっと支配者から開放された次女と安心できる生活で罪悪感は ありませんでした。 母は88歳まで自宅で過ごしたが倒れて入院、 ( はじめは弟と暮らしてましたが転勤になり・・・ 母一人暮らしの実家は ご近所さんの集うサロンになってて 賑やかだったようです。) その間に心身弱り、急速に認知症進行、そのまま、特別養護老人ホームに入居でそこで看取られ亡くなりました。 多くの方が 毒親の介護に悩んでいるのに、私は免れたのです。父の介護は手伝いました。 姉妹弟で平等に介護するのが私の望みでしたが・・・それ以上の結果でした。 終わりよければすべて良しになってしまいましたが 私の心は複雑で 母に置いてかれた寂しい子供です。 統一教会 カトリックの教えとは、かけはなれている ときに操り人形のように扱われる。 t 教会が立派すぎるのは、怖いことなのかもしれない。 大事なものは、目には、見えない、 地球に行った時、金の亡者、中身のない権力者 問題のある人に出会うし、ほんとに大切なことが何かを知る。 知ったあとの代償もおおきい。星の王子さまは奥が深い。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 自分らしさランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.12.09 14:55:27
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