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カテゴリ:家族
母の一周忌間近になったとき、弟から電話があった。 「俺はもう実家に住んでいない」「7月中に実家を売りたいので」 「固定電話の解約お願い」私「わかった手続する」 24日に解約工事で実家に行くことにした。 固定電話は、実家でネット契約にしたとき、私名義にして2階に移し 母が使えないようにした。 でも固定電話は緊急連絡用と信用でもあったので解約はしなかった。 母には携帯のみの使用にしてもらった。 実家に一緒に住んでるときは 四六時中携帯で呼び出される時があって、ノイローゼ気味になり 母の番号を削除してしまった。 その後コロナ禍で母に会うこと無くお葬式になってしまった。 母はカトリック信者でしたが、葬式は無宗教・・・ 私妹弟、次女、近所の人4人の小さなお葬式でした。 両親とも末っ子で結婚の時に両親も亡くなってて 親戚との縁が薄い、両親の母親代わりだった老姉たちがなくなると 親戚づきあいは壊滅的でした。 10数年間女子大生向けの下宿アパート経営したことで 親戚も呼びにくい、お嬢さんたちを預かる母は、お出かけも買い物程度で 日帰りの旅行をするのも大変だった。それを叶えるには私がかわりになるしか なく下宿屋の娘は辛かった・・・共同のトイレ、台所の掃除が嫌だった・・・ 月に5万の僅かな収入のため家族は我慢を強いられ犠牲になりました。 私が反対することは、母は意地になって実行するところがあった・・・ お習い事してなくて仲間はずれ、家に冷蔵庫無くて弟の世話もあり仲間はずれ、放課後下宿に縛られ仲間はずれ・・・ アニメ会社に入社でその後の10年間は友達もできて楽しかったが 辛抱しなさい我慢しなさいが口癖の母だった。 母が強制した結婚は、仕事家事育児で 時間経済も友達付き合いが難しかった・・・ 33年 ほんとによく辛抱したと思う。 大農家お嬢様育ちの母には到底耐えられない結婚だったと思う。 最後の母の介護が・・・ コロナ禍の特養施設だったので私は何もせずに済んで 拍子抜けのようだったが・・・ ザワザワだった気持ちが薄まったのは確かです。 にほんブログ村
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