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カテゴリ:凛的好奇心
感じていることを 感じる って
実は ものすごく 難しいことなのかもしれない 感じることで 自分の弱さに直面したり 自分の小ささに幻滅したり。。。。 無力感 絶望感 怒り 醜態 。。。。 書き上げればきりがない これは 良い悪いではなくて そういう価値判断しかなかった というに過ぎない 例えば 3in1では 意識レベルでは 受け入れる=反感 意欲=怒り 興味=恨み というのがある 受け入れることが出来なかったから 反感を感じ 意欲に変えたかったけど 怒りを感じ 興味を持ちたかったけど 言い出せず恨んでしまった 一見 左のほうが良い感じを与え 右側は悪い感じを受けるが この両極は 同じエネルギーで 本当に欲しかったものは 左の側にある そして 右側の 反感 怒り 恨みを 自分自身が感じるのを避けたり 違うものに 置き換えた場合 左の側の 受け入れる 意欲 興味 も 同じように持てなくなるのだ セッションにいらっしゃると まず 予備テストというのをして セッション可能な 状態なのかチェックしたり このセッションでの鍵がわかる このときに 時々 ”なあぁ~~んだ そんな 小さな事 引っかかってるの??” と 本人さんも思い当たらないようなことを カラダは饒舌に喋るのだ ・・・・で これがここで出てきた意図は その些細な感覚をこれからも見逃さないように これがあなたの感じていることだよとの メッセージである 例えば 昔嫌な思いを受けた人の眼差しに 似たように”見られた”恐怖を感じた 愛に値しないと感じた とか 自分の考えが言えず 相手の言葉に正当性を感じ ”従った” 社会的に必要とされていない と感じた とか 上司の口の聞き方に反感を感じ 受け入れられていないと思った とか 他の人との話題で 自分はそう感じていないけど 話に加わり ふんふんと同意した形で 話を聞いていることが嫌だった 冷えた愛を感じる とか ご本人さんとしても些細で 取るに足らないようなこと 本当の私は ”嫌~~ ” 本当は○○なのよ~~ 気付いて!! と お話してくれる 感じることが出来ないのは 良い悪いとの 二極の判断で見ているからで どちらもどうと言うことではなく 感じたことを感じたままに その先 どうしたいのか 何を選ぶのかは その後に 現れてくることと 深いところで 心から納得できたとき心の自由が得られるのでしょう~~ これは 読んでわかることではなく 体験を通し 肌で感じることです そのための作業が 始まっています 完全なプロセスのなか それぞれが ぎりぎりまで ”分離”を経験します そこを 通過して 初めて ああ そうかと言う感覚がもたらされます それは 内側から 。。。。。。。知っていたこととして ともに在ります 全てがひとつになるように。。。。 私も見守って行きます 答えが見つからず 苦しいとき それは 必要な時間です それら 全てを楽しめるように!! 母の元に還ろう 還る場所はあります 安心して 委ねましょう 凛 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.11.21 15:50:20
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