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カテゴリ:凛と生きる
なんと、16年ぶりに電話をいただきました。
電話のお相手は、今では笑い話の伝説の728円という残高になるくらいにまで追い込まれた、あのニートの時期の直前に、私が勤めていた某大手銀行時代の女性の先輩のSさんでした。 ある共通の知人の方に私の電話番号を聞いて電話をかけてこられたとのこと。。。 私はあの頃、辞めた銀行の人達と顔を合わせるのがとても嫌で そんな生活をしていたから部屋に引きこもって、とうとう外の世界と遮断していたのです。 『けんちゃん、あなた結構有名になっているらしいけど、積もる話もあるし今度一緒にご飯でも食べない?』 16年ぶりの電話でいきなり食事に誘われたわけですが、その某大手銀行を辞めてからの話を電話で少し聞かれたのですが、電話で話せるボリュームでもなく、やっぱりお会いしてお話しすることになりました 私がその某大手銀行を辞めた頃は、よほどのことがないと銀行を辞めるなんて人はいなかったわけで、さっきも電話の中で、 「けんちゃん、なんで銀行辞めたんだっけ?」 なんて聞かれました。 「たしか、仕事を転々としているという噂を聞いたことがあったけど、、、」 「それは、全部バイトですよ、、、フリーターから社会人に戻ったのは27歳からです!」 「で、なんで今、ラジオとか出てるの? 何か資格とか取ったわけ?」 「えーーっと、、、資格とかではなくて、僕が講演した時の話の内容が、仙台でCDになって、そしてそれを買っていただいた鹿児島の方が小冊子にしてくださって、そしてそれが地元の放送局の制作部の方の手に渡ったのがきっかけで、、、」 「えーーー?? けんちゃん 講演とかしてんの?」 「はい、実は講演っていってもあの銀行を辞めてからの話でして、それがなぜかCDや小冊子にまでなってしまいまして、今、不思議な縁で毎週ラジオのレギュラーまでさせていただいています」 「・・・。あなた、昔と全然違うなぁ、、、口が上手いのは昔っからだけど、、、でもけんちゃんと会うと私の世界も広がりそう!!!よかったらご飯でも食べながらいろいろ聞かせてよ、、、」 不思議なことがあるものですね。 私はあの頃、銀行の人たちとはもう関わることはないと思っていました。 銀行の人たちとはもう別世界で生きていこうと思っていました。 16年の時を経て、逆にいろんなことで相談していただいたり、 頼られたりするようになっていました。 あの頃、本当に世の中が信じられなくて、人が信じられなくて、 毎日毎日、尾崎豊の詞を泣きながら歌っていたのに、、、 人生、今、この瞬間がどんなに苦しいものでも、 きっと将来意味があることになるんだと身をもって感じたのでした。 あらためて囚われの心が、恩に変わった瞬間でした。 感謝 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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