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カテゴリ:育児
以前に書いた お母さんと赤ちゃんの話の続きです。
わたしあてのメールなのですが、許可をいただいてそのまま転載しました。 どの言葉にも、芽衣ちゃんが息づいている気配がして、部分紹介ということができない気がしたので、全文そのまま転載しますね。 みなさんの記憶の中でずっと芽衣ちゃんが、生きていられますように。。 芽衣ちゃんのママ、芽衣ちゃん。 たくさんの勇気のプレゼントをありがとう。 以下、引用です★★★★ あんどうりす さま ご無沙汰しております。いかがお過ごしですか? 2月14日 14:47 長女を出産しました。 恵の雨が降り、梅は満開でした。 32週0日 早朝に陣痛がきました。まだまだ早い陣痛。私の希望は、この子が生きて産まれてくることでした。その願いを叶えるために、この日以前や以後では駄目だった、生きて産まれるためには、この日だったのだと思う。 14週の時に『全前脳胞症』という染色体異常の病気が分かりました。聞きなれない病名。 大脳の形成不全で、症状も様々で、この子は大脳皮質が少しあるだけで、頭の殆んどは、髄液のみでした。特徴としては、心疾患とお顔の中心部の奇形です。 22週までは、堕胎が可能だから、将来の無い子を産むより、母親のリスクを考え堕胎をした方が良いと、4つの大きな病院で言われました。 恥ずかしながら、ハンディキャップのある子を産むことが怖いと思った時もありましたが、私の判断でこの子を産み 死なすことは出来ない、この子が生まれたい時に産んであげよう! どんな結果が待っていようと、家族皆で心穏やかに看取ってあげようと決心しました。 でも、大きな病院では望み通りの出産が出来ないため、不安でいっぱいでした。 明日香医院でも診断は同じ、『生きて産まれれるか分からない、でも生みましょう!』と言ってくれました。初めて、子のこの命を認められたと、とても嬉しかったです。 りすさんが言ったように、この子が、自分の生まれる場所を選んだのだと思っています。 それからは、妊娠のリスク・・・羊水過多症で夜寝るのが苦しかったり、息子の後を追うのが大変だったり、私に会っていた方は、私のお腹が急に大きくなったのに驚いていました。 (赤ちゃんが羊水を飲み込めなっかたので、増えてしまったのです。) でもこんな妊娠ライフも楽しかったのです、ハンディキャップのある子なのに、お腹の中では、驚くぐらいに動いてくれていました。 出産当日もゆっくりと陣痛を進めてくれて、その間も産んでしまったらさようならなんだと泣いてしまいました。でも産んであげなくてはと、死産も覚悟していましたが、心拍が落ちることなく、しかも呼吸をしてくれました。私と主人と息子、実母が見守る中、私の胸の中で1時間、静かで穏やかに微笑みを浮かべながら、眠りにつきました。待望の女の子でした。 満足のいくお産でした。覚悟も出来ていたので、悲壮感より喜びと子のこの生命の強さに驚かされていました。 『悲しみは愛の別のことばに他ならない』という一節にふれ、納得してみたり。 今は、頑張ること・泣かないこと・笑顔でいることはないと思っています。だって悲しいのですから、息子が居ますが回りに助けられながら、とことん悲しみ この子 『芽衣』 を愛したいと思っています。 『赤ちゃんの死』に蓋をするのではなく、向き合うことが大切なんだと強く思います。それは、母親だけてなく、家族とその周囲も・・・ついつい『次頑張って』『しっかりね』と声をかけづに、そっと静かに見守ってもらうことが必要なんですね。 私の周りの方は、皆優しくそっとしておいてくれます。(ありがとうございます。) 小さな命が私に沢山のことを教えてくれ、優しい人たちに会わせてくれました。本当に芽衣を産んで良かった~!! そして、りすさんとの交流が無ければ、この良いお産は無かったともいます。りすさんのメールに励まされ。心強かったです。 りすさんのお子さんと芽衣は会えたかな? あの姪っ子によると、芽衣は天使なって次に生まれてくる赤ちゃんにプレゼントを しているそうです。忙しくて寝る暇も無いそうです。 だから、ママもいつまでもメソメソしていないでと言っているのでしょう!? 本当に有難うございました。また、お会いできると嬉しいです。 今回読んだ本 【赤ちゃんの死を前にして】・・・・竹内正人(この先生にも相談にのってもらいました。ブログもあります) 【子供を選ばないことを選ぶ】・・・大野明子 【分娩台よさようなら】・・・大野明子 以上引用おわり★★ りす注 大野明子先生は明日香病院の先生です。この先生の本に触発され、わたしは、山登りしながら、自然に子供を出産することにしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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