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カテゴリ:雑感
以前にこのブログで、米国の政治家リチャード・ニクソンの「人は理屈で納得するが、感情で行動する」という箴言(?)を引用し、これが現代の脳科学や経済学でも「科学的に」実証されつつあることをご紹介しました(こちら)。
職業柄(研究者の端くれ)もあって、これまで亭主はヒトが持つ理性(=遅い思考)の力を信じてきましたが、この歳になってヒトの行動をドライブするのは理性ではなく感情・情念(=速い思考)であることを痛感するようになった亭主、このところ感情を論じた本が目に入ると片っ端から手に取っています。最近刊行された表題の本もそのような1冊で、先々週に所用で那須(栃木)を往復する間に読了。 なかなか面白かったので忘れないうちに要点をまとめようと思っていたところ、数日前にたまたまチャンネルを合わせたBSフジの「プライムニュース」という番組でこの本が取り上げられ、著者である山本圭さんも出演しての議論が行われているのに遭遇しました。 番組冒頭、この本を書くに至った経緯を山本さん自身が以下のように語っています。 …私は政治思想、あるいは政治思想史や民主主義論なんかをこれまで研究してきて、例えば心理学であるとか文学であるとか、通常「嫉妬」が問題になりそうな分野を研究してきたわけではないです。実際、政治思想の分野、政治学の分野で嫉妬にフォーカスするような研究も必ずしも多くはないです。嫉妬というネガティブな感情(著者が言う「悪性な嫉妬」)が自らと比較可能な対象に向くことからも(誰も藤井聡太や大谷翔平には嫉妬しない?)、その背景に平等、あるいは公平という価値観があることがわかります。また、比較できるためには共通の物差しのようなものが必要ですが、それを可能にしたのが貨幣経済、つまりあらゆるモノ・サービス(=欲望という感情の対象)に値段をつけて交換可能にするシステムです。 では、社会を構成する各人がそれぞれの働き(能力ではなく成果)に見合う収入や評価を得られるのが公正な社会で、それが実現すればみんなハッピーになって嫉妬も消えうせるのでしょうか? この本を読むと、残念ながらそうはならないことがわかります。悲しいことに、ヒトは隣人との差異が小さいほど、その小さな差異に敏感に嫉妬するようになります。そして、そのような感情こそが差別や嫌悪(ヘイト)という社会問題の根元にある、というわけです。 そもそも社会的平等や公平という概念には、ヒトの置かれた状況が常に変化している、という時間軸の視点が完全に抜け落ちているように見えます。仮に、ある瞬間にほぼ「平等な社会」が実現したとしても、日々変化する世界でそれが長期に持続できると考える方がよほど奇妙です。 このように常に不平等・格差を伴いながら変化し続ける社会において、ヒトが逃れられない嫉妬という感情は、その原因である不平等・格差を是正するための社会政策を実施する上でもさまざまな障害や軋轢の原因になり得ます。例えば、生活保護を巡るネガティブな感情・言説はその典型とも言えます。他にも「男女共同参画」や「働き方改革」において、時間軸で見た場合の不公平感がそれで、このような政策に否定的な年配者が抱く「昔はもっと大変で苦労したのに、今の若い世代は甘い!」といった感情の中に嫉妬が混じっていない、とは言えないでしょう。 逆に、コロナ禍において自粛生活を余儀なくされていた当時に、自粛を拒んで出歩いていた人たちに対する一部の強いバッシング(自粛警察)もそのような感情の発露と言えます。この例が端的に示すように、嫉妬という感情はしばしば「社会的公正・平等」といった偽装(隠れ蓑)を纏って我々の前に現れるので実に厄介です。 隣の芝生が青く見えるとき、自分の庭の芝生をもっと手入れしよう、と思うのはポジティブな嫉妬(憧憬)ですが、それが日照りで傷むことを密かに望み、あるいはそうなったことを喜ぶ(シャーデンフロイデ)といったネガティブな嫉妬からも逃れられないのが人間の性※。 だとすると、この社会を全体として健全に保つ上で肝心なことは、そのような感情が普遍的であることを前提に、それをうまく抑制・慰撫できるような仕組みを社会の中に組み入れることだと思われます。これこそが政治あるいは経済システムの最重要課題であり、これに失敗すると社会は崩壊の淵に立たされかねない(今の米国政治を見ているとあながち杞憂とも言い切れない?)と危惧する亭主でした。 ※本書によると、最近の研究からはサル(オマキザル)も同様の感情を持つことがわかったとのことで、どうやら生物進化の過程でヒトにも組み込まれた感情のようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 5, 2024 09:38:55 AM
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