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未音亭日記

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未音亭@ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) tekutekuさんへ これまた情報ありがとうご…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…
未音亭@ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) Todorokiさんへ コメントありがとうござい…

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November 10, 2024
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カテゴリ:音楽
先週の「古楽の楽しみ」、初日および二日目のテーマはバッハの作品に見られる自作の使い回しについてでした。まずはMCの鈴木優人氏による初日のイントロを以下に再現してみましょう。
…大作曲家でありますヨハン・セバスティアン・バッハは、生涯をかけて飽くことなく自分の作曲技術を高めるために改訂を行いました。そのいくつかの作品は、例えば初期のバージョン・初期稿と、改訂されたバージョン・改訂稿という形で残されています。ということで、今日はそういったバッハの探究心に焦点を当てまして、いくつかの作品を聞いていきたいと思います。(NHK-FM 「古楽の楽しみ」2024.11.4)
この日取り上げられたのは鍵盤音楽で、「フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」から「前奏曲 ハ短調」BWV847.1(847a)と、その改作である「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」から「前奏曲 ハ短調」BWV847.2(847)など、初稿と改訂稿の三組の作品でした。

ところが番組ではこれ以降、今度は「フーガの技法」BWV1080が取り上げられ、「コントラプンクトス」第1、6、13番および「3つの主題によるフーガ」都合4曲がオンエアされることに。これらはもちろん「改訂」とは関係なく、バッハの「探究心」を際立たせるための選曲であることが伺えます。

そして二日目、この日は「ミサ曲 ヘ長調」BWV233が取り上げられ、この作品が自作のカンタータ第40番や第102番の音楽を仕立て直したものであることが示されるとともに、これが当時よく用いられていた「パロディ」という作曲技法に由来することが紹介されました。以下、MCが発したこの技法についての締めの言葉を引用すると、
過去に作った作品を元に編曲し、異なった言語でうまく音楽を組み合わせるパロディの手法、バッハは様々な時期にこのような形で作品を編み出しました。その音楽の必要な様式や雰囲気に合わせてさらに音楽をより良くしていく、そういった 探究心がひしひしと感じられる特集でした。(NHK-FM 「古楽の楽しみ」2024.11.5)
となります。これらから読み取れるのは、「セバスティアン・バッハはより良い音楽を創造するために生涯にわたって探究心を持ち続けた偉大な音楽家であった」という鈴木優人氏のバッハ観です。

ちなみに、「パロディ」という言葉を聞くと、亭主も含めた現代人はむしろそれを一段下に見る向きがありますが、その理由を推測することは簡単で、19世紀以降の芸術に対する価値観(美学)では作品の「オリジナリティ」が最も重視され、音楽も例外ではなかったからです。

逆に、セバスティアン・バッハも含め、もっぱら機会音楽を作っていた18世紀以前の音楽家にとって、自作の使い回しはいわば常套手段。ほぼ一回きりしか演奏されない音楽を、目的ごとに別の音楽に仕立て直すことは普通に行われていたことで、それを「探究心」の発露であると解釈することにはやや違和感があります。(そこに見え隠れするのは、セバスティアン・バッハを近代的な意味での「芸術家」として称揚したいというクラシック音楽的な音楽観です。)

鍵盤作品についても同様で、今回取り上げられた作品のうち、例えば平均律クラヴィーア曲集(WTC)の一曲は、ライプツィヒの職に応募する上で自分の教育能力を示す証拠として提出するという目的がまずあり、そのために(同じく教育用に編んだ)フリーデマン・バッハの音楽帳の旧作を再利用しています。確かにWTCに入った改訂版の方が完成度は高いと感じられますが、もし彼がライプツィヒの職に応募するという動機がなければこの作品はなかったかもしれず。そう思えば、改訂の動機を彼の「探究心」だけに帰するのは難しいでしょう。

ところで、パロディという用語がバロック期以前の音楽に特有の使われ方をしていたらしいことを確かめるためにネット検索をかけていたところ、合唱指揮者の三澤洋史さんの「東京バロック・スコラーズ レクチャー・コンサート『バッハとパロディ』原稿」というサイトがヒット。これが大変興味深い内容だったので、以下に少し引用してみます。
(前略)
避けて通れない問題
 バッハを語る時、パロディの問題は避けて通れないだけでなく、むしろ真っ先に語られるべき問題です。でも、これまで意識的に避けられてきたのは、今挙げたように、この問題に踏み込み始めると、私たちがバッハという作曲家に抱いていた夢がかなり壊れるからなのです。
 でも、ここをしっかり認識しないと、私たちの本当のバッハへの理解は先に進みません。そこで東京バロック・スコラーズでは、「21世紀のバッハ」として真っ先にこの問題に取り組み、こうして講演会とレクチャー・コンサートを組んでみました。
 調べてみればみるほど、バッハの創作過程は転用、改作すなわちパロディに充ち満ちています。あまりいろんなところでいろんな曲を使い回しするので、バッハは本当は一体何曲作ったのだ、パロディを全部まとめると彼の作品は半分くらいになってしまうのじゃないかと思うほどです。
 先日、東京バロック・スコラーズでは、同じ「バッハとパロディ」というタイトルで、礒山雅先生による講演会を行いました。その中で礒山先生がこうおっ しゃいました。
バッハの生前、公に出版されている曲はわずかであった。つまりバッハの曲のほとんどは、一度上演されても次に機会がない限り、二度と上演されないで埋もれてしまう可能性があった。だから彼が、過去に自分の書いた音楽の中からうまく出来た曲を、なんとか形を変えてでも上演したいと思っていたとしても不思議はない。
 私はそれを聞いてなるほどなと思いました。バッハのパロディの元曲の中に世俗カンタータがあります。カンタータを注文した領主や貴族は、当然自分のためにオリジナル曲を要求するので、世俗カンタータはほとんどオリジナル曲です。しかしそれだけに、その特別の機会に上演されてしまうと、もう二度と上演される可能性がないのです。現代のようにCDにして売り出すというわけにも、インターネットで配信するというわけにもいかないのです。
 バッハは1723年にライプチヒの聖トーマス教会の楽長に就任します。楽長になりたての頃は、毎週のように新しいカンタータを作曲し、上演していたと言われています。その際、かつての世俗カンタータを教会カンタータによく転用しました。
 教会カンタータであれば、少なくとも一回こっきりではなく繰り返し上演される可能性がある。それに、かつてケーテンで書いた作品をライプチヒで上演しても誰も分からないだろうということもあります。
 ただ教会カンタータにも制約があります。一年の内、教会暦できまった時期にしか上演出来ないのです。でももしミサ曲であるならばどうでしょう。その気になればいつでも上演可能なミサ曲は、カンタータよりははるかに上演の可能性が高いのです。
 そこでバッハはいくつかのカンタータの主な曲を組み合わせて、カンタータのハイライト集のような形でミサ曲を作り上げました。ということはミサ曲はパロディの終着点と言えるかも知れません。(以下省略)
これを読むと、バッハがパロディを多用した理由を彼の「探究心」に結びつけるのは、「贔屓の引き倒し」にも似てやや的外れに感じれられます。三澤氏が「私たちがバッハという作曲家に抱いていた夢がかなり壊れる」と言うのも同じことを意味しているのでしょう。

上記引用部分以外にも、三澤さんの記事にはバッハの音楽やその時代背景について色々と興味深い考察が披露されており、亭主も大いに啓発されましたので、皆様にもご一読をお勧めする次第です。(こちら









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Last updated  November 13, 2024 10:58:54 PM
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